2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

湖愁

歌っている動画ですご覧ください私はもう古希になります。湖愁は私が二十歳位に大流行した歌ですから50年前の歌です。 夜な夜な街に繰り出していたずらしていた頃に流行った歌です。 人に聞かれれば何一つ自慢のできるようなことのない馬鹿な毎日でしたが、…

時の流れ

鳴尾浜から見る甲子園球場 時は流れ そして人生もとどまることなく進む 時は悠久に流れるが 人生の流れはやがて止まり忘れられて行く 仏教では朝露の如く消え去る命だと教える だから色即是空、すなわちこだわるなという こだわらなくても人の群れの中で生き…

夕日

黄昏て 消えゆく海に 紅を差す 青い海面がさざ波で光り 釣り人が背を向けて動く しだいに青い海がグレーに変わりかけると 紅の帯びがこちらに走りくる 沈みゆく空は紅色に染まり、 黒一色の船がクッキリと形を表す シルエットとなった釣り人は影絵のように動…

五常から政治を見る

五常=人が常に守るべき道徳 聖徳太子は冠位十二階を定めました。 その冠名には仁、礼、信、義、智の五階に大小を儲け、徳は五常を統べるということで徳冠を最上にして十二階と定めました。 その五常を意味を繙いてみますと次のようになります。 仁=愛情を…

大阪冬の陣

橋下さんが自説の実現を目指して本格始動を始めました。 橋下さんならこのまま行けば、次回の府知事選でも確実に当選するでしょう。 その安定した知事の立場を辞職してまで大阪都構想の実現に向かって突き進むということは現在の政治家の中においては実に勇…

匹田絞り

絞り方には様々あります。 (1)巻絞り=糸で括って防染する絞りの総称です ・鹿の子絞り=匹田絞り目絞りの総称です。 匹田絞りは四角形の絞り目を斜め45度に粒を揃えて埋めて いく絞りです。 写真の鹿の子と記している部分の絞りです。これを布全体 にび…

絞り

写真A=丸い絞りの白の部分に絵模様を刺繍で柄付けしてある小袖です。 写真B=左の人物は絞りの小袖を着用し、右の下級者は型染めの小袖を着用しています。 奈良時代には染の三纈(さんけち)という染法がありました。 その一つが纐纈(こうけち)という絞り…

伊丹昆陽池昆虫館

娘がもうすぐ8ヵ月になる孫を連れて一泊で遊びに来てくれました。 乳幼児のいる母親は大変です。 ご機嫌さんで一人で遊んでくれる時間はわずかで、後は手が掛かります。 あの仕事は母親でないとできないでしょうね。 ぐずってくると母親しか受け入れないの…

女性は強い

人は生きていくためには食べなければいけません。 食べるためにはお金が必要です。その経済は一般的には男が要になっています。 生きていくための源であるお金を男は稼いでいますので、心底では「女なんて」とか「お前に何がで来るのや」と亭主は女房を軽視…

美智子妃殿下のお誕生日(喜寿)

喜寿おめでとうございます。 お誕生日に美智子妃殿下が陛下とお庭を散歩されているお姿をテレビでご紹介されていました。 紬地の色無地に織り物の名古屋帯のお姿でした。 私しごときが不謹慎極まりないことですが、そのお姿は大変素敵なお姿でございました。…

孫来る

8月に見て以来の再開です。 顔見知りをして泣かれるかなと思っていたのですが、顔を見ただけで泣かれるということはありませんでした。 しかし、直ぐに抱いたりしますと泣かれてしまいそうなので、慣れるまでは眺めているだけにしていました。 そろそろ顔見…

柿は万物をかき集めるということで昔から喜ばれています。 お正月に鏡餅の上の昆布を引いて柿を置くのはそういうことから来ているのかもしれません。 カキノキ(柿の木)とはカキノキ科の落葉樹です。東アジアの固有種で、特に長江流域に自生している。 熟し…

羽織

羽織は胴服から進化したものです。羽織が普及して文久三年(1862年)には羽織袴姿が平服として定められます。 平服とは外出着のことで、個人の儀礼の時は通常は平服で儀礼の場に赴いてもよいと言うことです。 町人も力のある者は礼装として紋付の羽織袴…

我が家の昼食

酢橘が4個減っていますし、それで280円です安い 我が家ではよくうどんと果物だけの昼食を摂ります。 自分は現役で頑張っている時は「吉野家」や「なか卯」などの安売りの丼を食べに入ったことがありません。 安いのは不味いだろうと決めつけていたのです…

重陽の節会{せちえ=古代朝廷の節日(季節の変わり目に行う祝日。その他公事=くじ=政務や儀式のある日に行う宴会}が始まったのは平城天皇の大同二年(807年)です。 当日の宣命の中に節会再興の思し召し述べられているので、それ以前から行われていた…

十禅律院

粉河寺の境内とも言える場所に、粉河寺とは全く関係の無い十禅律院という天台宗のお寺があります。 紀州8代藩主重倫(しげのり)、その子の十代藩主治宝(はるとも)ゆかりのお寺で、築地門、本堂、護摩堂、庫裡、そして枯山水の庭園からなるお寺です。 庫…

粉河寺

孫が風邪を引いているということですからお見舞いに行ったのですが、顔を見たとたんに泣かれてしまったので、頼まれ物とお土産を置いて早々に家を後にしました。 三十三箇所廻りで和歌山方面では粉河寺だけ残っていましたので、折角泉南まで来たのですから、…

御寺 泉涌寺(みてらせんにゅうじ)今熊野観音

東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓にたたずむ泉涌寺。西国三十三箇所の15番札所、新那智山観音寺といいますが、土地の人達には今熊野観音として崇められています。 今熊野に行きましたら西田屋の「しば漬け」を必ず買って帰ってください。これは本当に美味し…

西国三十番札所宝厳寺(竹生島)

宝厳寺(ほうごんじ)は、滋賀県長浜市の竹生島(ちくぶしま)にある真言宗豊山派(ぶざんは)の寺院である。山号(寺院に冠する称号)を巌金山(がんこんさん)と称する。 本尊は弁才天(観音堂本尊は千手観音)、開基(創立者)は聖武天皇の命により、僧・…

三方五湖

三方五湖(みかたごこ)は、福井県三方郡美浜町と同県三方上中郡若狭町に跨って位置する5つの湖の総称です。国指定の名勝で、若狭湾国定公園に属しています。湖の周囲には梅畑が広がる景勝地でもあります。 五湖とはレインボーライン山頂公園から見下ろした…

秋バラ

靭公園 大阪西区にある靭公園には秋バラが沢山あります。気温が下がっていくときに咲く秋バラは春バラよりも色が鮮明で美しいです。今日は日曜日です。美しいバラでも見て寛いでください。 http://www.youtube.com/watch?v=bqP8wD42hpw バラです

六角堂(西国三十三箇所十八番札所)

聖徳太子が幼い頃、淡路島の岩屋に小さな唐櫃が流れ着き、太子が蓋を開けると中から黄金でできた一寸八分の如意輪観音の像が出てきました。そこで太子は、自分の持仏として大切にしました。 そのころ太子は物部守屋と争っていたので、如意輪観音に勝利を祈り…

玄宮園(彦根城庭園)

仰ぎ見る 天守も写す 秋の庭 彦根城の北東にある大名庭園で、近江八景を模して作られた縮景園です。 第四代当主直興が延宝5年(1677年)に造営されたもので、玄宮園内の築山に趣のある鳳翔台という茶室があります。 藩主が客人をもてなすための客殿で、…

お給食

京都〜小浜の鯖街道で食べた締め鯖定食 テレビを見ていますと幼稚園の園児が給食の味見をして、今日の給食のメニューとその味を皆に報告するということをやっていました。 それを持ち回りでやるという事は、正確に物事を伝える、皆にきちっと話して報告する…

美(び)

写真は土壁が朽ちて汚くなってきていますが、それがなんとっも言えない情緒を醸し出して、私たちの心を慰めてくれています。 綺麗というのは磨かれて整備されていることで、朽ちかけた土塀は綺麗ではありません。しかし美しいのです。 そのように私たちの心…

彼岸花

別名を曼珠沙華といいます。 名の如くこの花名は仏教の経典からきています。 仏教では現世を此岸(しがん)といい、悟りを開いた聖人が住む世界を彼岸といいます。 仏の世界を彩る花ということでしょうか。 暑さ寒さも彼岸までと言われ、この花が咲き始める…

仮設に住む人にとって大事なのは笑い

石巻の仮説で自分も妻、子供、母親の四人を亡くした人が、仮設住宅で自治会の会長を引き受けて頑張っておられる様子をテレビで放映していました。 亡くなられた奥さんは民生委員をされていたそうで、地震が起きて世話をしている人が心配だからと、見回りに行…

真田幸村の赤備え

慶長20年(1615年)大坂夏の陣において真田信繁(幸村)が赤備えで編成しました。 敗色濃厚な豊臣氏の誘いに乗って大坂城に入った幸村の真意は、恩賞や家名回復ではなく、徳川家康に一泡吹かせてやりたい。そして真田の武名を天下に示す事が目的だったと言わ…

議員に物申す

先日福井に旅行した時に、一泊で行ったのですが泊まりは寝るだけのビジネスホテルでした。 6時前に入ったのですがセミダブル位のベットがあってテレビがあるだけです。 テレビを見るしか時間の過ごし方がありません。早々とベットに横たわってテレビを見て…