2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

原発事故の倍賞免責に言及

プリメラ 29日の衆院予算委員会で、福島第1原発事故を巡る東京電力の賠償責任免除を求める質問を自民党の吉野正芳氏が行ったということです。原子力損害賠償法には「異常に巨大な天災地変」時は免責する規定があり、吉野氏は「莫大(ばくだい)な災害が起…

白色

冠位十二階の制において冠の色で位階を示すようになりました。 徳(とく)、仁(じん)、礼(れい)、信(しん)、義(ぎ)、智(ち)に大小を設けて十二階としたわけですが、白色は義の臣下の色として用いられていました。 その後奈良時代の大宝律令(70…

きものが作法を変えた

上記左図は小袖姿で身丈は対丈であることがわかります。 きものの丈が長くなって屋内で裾を引いて着るようになるのは元禄期以降です。それまでは男性と同じように女性も対丈に着て衣紋も抜かない着装をしていました。 裾を引くようになりますと身幅が広いと…

(人生の思い出No3の附則その一)

人生には辛いこと苦しいことは多々ありますが、どんなに生活が困窮していても幼い頃はそれが辛いと思う事はありません。 親は十分なことがしてやれないからと思い悩む事はあるでしょうが、子供は全くそういうことは分かりません。私の妻は4人の子供があり上…

(人生の思い出No3)

人生の記憶は小学校の高学年くらいからは一本の線になって覚えていますが、それまでの記憶は断片的に記憶しているのが一般的ではないでしょうか。 そんな中で幼少の頃の記憶がほんの一コマですが覚えているものがあります。その一つが、誰かに抱かれて竹藪の…

小袖の語源

左=唐衣裳 右上=袿姿 右下=小袖袴姿 着物は昔は小袖と呼ばれていました。 平安貴族の女性は袴を着けて上に大袖の衣(きぬ)を着ます。上図の十二単や袿姿(うちきすがた)は上級貴族の礼装であり普段着です。 着装する時には一番下に汗取り防寒用の衣服を…

可愛いベービー

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(人生の思い出No2の附則その一)

私達の子供の頃は洗濯機や掃除機などの電化製品はありません。 洗濯も洗濯板を使ってタライで手洗いです、当然時間が掛かります。 朝は家の掃除をして朝食の後片付けをして、洗濯をして終わればもう昼食の時間です。 昼食を子供に与えて後片付けをしますと夕…

宮参り

昨日は孫の宮参りでした。 朝起きて赤飯を炊いて、そしてお祝いですから鯛を焼いて持って行きました。 妻と自分の着付けをして娘の家で娘に着付けをして出かけました。 娘も妻も久しぶりの着物ですから喜んでくれました。 ところで赤飯ですが前にも書いたか…

人生の思い出No2

親父は働くのが嫌いな人で私が物心をついた時から、母は外に出て商売をしており親父が家にいて家事を担当していました。 私達の子供の頃と言えば昭和の20年〜30年前半の頃で、近所ではお金持ちの家が見当たらないというように、総体的にみんなが貧しい生…

足袋の文数

家康が寛永通宝を作ったものの中国の貨幣が強くて一向に通用しないので仕方なくお触れを出して寛永通宝を使え、ついては草履、下駄、足袋はすべてこの寛永通宝を単位として表現する。一枚で一文、十枚で十文とすると決めてしまいました。それから足袋は文数…

2011年桜

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イカと新タマネギの炒め物

新タマネギとイアの炒め物 イカはするめいかの安いものでいいから刺身にできる新しいのもを使う いっぱい200円までで買えます。 皮をむいて耳と足はおいておいて新キャベツと新玉ねぎとニンジンを入れて野菜炒めをすればいいです。 身の方は細かく切れ込…

西宮の広田神社のこばのみつばつつじ

広田神社のツツジです西宮市には阪神球団が毎年春先に必勝祈願に参詣している広田神社があります。 この神社は阪神が参詣するようになって綺麗に整備され有名になりましたが、それ以前から「こばのみつばつつじ」が群生していることで有名でした。 境内は整…

男の料理

酢に砂糖と塩を少々入れて甘酢を作って置きます。 保存が出来るので私は何時も作り置きをしています。 なますの作り方は大根と人参を突いて塩を振り掛けて10分ほど置いておきます。 水分が少し出ますので一度水洗いをして晒しに包んでよく水切りをします。 …

椿

椿は中国では瑞祥破邪の霊樹とする観念があり、長寿をめでる宮廷の采女(後宮の女官)はこの椿を装束の文様としました。 そういう観念に反して椿は陰の花として普通の人家には植えるものでなく、花が首からポトリと落ちるので縁起の悪いものという観念があり…

(人生の思い出No1の附則その4)

小学生や中学生を持つ親は皆さん子供の成績が上位であって欲しいと希望しています。 お金は偉大な力を発しますのでお金は有るにこしたことはない。いやもっと積極的にお金は大切だと考えている大人は多いのです。 そのお金は学校の成績に大いに関わっていま…

(人生の思い出No1の附則その3)

銘々膳からちゃぶ台にと食卓の形態が変わりますが作法は大きくはかわりません。 勿論座り方は正座です。 私達は大自然の偉大な力によって食材にありつけています。また食材を苦労して作ってくれている人もいます。これは食器も同じです。植物も生きています…

南瓜とほうれん草男の料理

南瓜と豚の炒め物 ほうれん草の炒め物 豚は先に炒めておきます。南瓜は水を少なく入れて酒。みりん、しょうゆと砂糖少々を入れて蒸し煮にして、南瓜が煮えたら最後に豚肉を入れてだし汁をとばします。 ほうれん草はゴマ油でいため醤油で味付けします。塩辛い…

熊野三山巡り

ここをクリックしてください 西国33個所巡りをしています。 那智の青岸渡寺に行きました。 青岸渡寺の庭からは那智の滝が見え神々しい雰囲気が高まる素敵な所です。 青岸渡寺は西国の一番札所です。 一日目は国道168線を南に下って先ずは日本で一番長い谷瀬…

人生の思い出No1の附則その2

日本の食卓は明治までは銘々膳です。 家父長が一番上座に座り、左右に居並んで食べるという形です。 食事をするときは話をすることは許されず、家父長が一方的に話したとあります。 ちゃぶ台が普及するのは大正から昭和にかけてです。 ちゃぶ台が普及してか…

小袖

A=唐衣裳 B=袿 C=小袖袴 D=はつき E=湯巻 きもの、昔は小袖と呼ばれていたのですが、その小袖は貴族の間では当初は肌着として着用されていました。 十二単というのは俗称で正式には唐衣裳(からぎぬも)といい礼装でした。礼装ですから儀礼儀式用で…

竹も松と同じく長寿で秋にも葉を落とさず色が変わらない。 しかも一直線に伸び弾力も強く折れにくい。 これを人生に比して節操の堅いことを讃美しています。 竹は霊的なもので神霊の依代(よりしろ)として、また招代(おぎしろ)として現在でも神事には必要…

原発再考

福島原発の2km範囲に住まいする女性が「東京の人達の電力を確保するのに、私達が何故こんなに苦労を強いられなければいけないのだ」と物凄く怒っていました。 人々は助け合い経済は巡り巡って成り立っていますので、その奥さんの言葉は理不尽で馬鹿と違う…

アカシアの花

アカシアの花が咲いています。 アカシアの花と聞くと私達の年代はナイスガイ裕次郎ではないでしょうか。 アカシアの花の下で あの子はそっと瞼を拭いた 赤いハンカチよ 恨みに濡れた眼がしらに それでも涙がこぼれて落ちた アカシアと聞けば裕次郎を思い出し…