真田幸村の赤備え


慶長20年(1615年)大坂夏の陣において真田信繁(幸村)が赤備えで編成しました。
敗色濃厚な豊臣氏の誘いに乗って大坂城に入った幸村の真意は、恩賞や家名回復ではなく、徳川家康に一泡吹かせてやりたい。そして真田の武名を天下に示す事が目的だったと言われています。
嘗て真田家は武田家に仕えていましたので、武田家由来の赤備えで編成した真田幸村隊は、天王寺口の戦いで家康本陣を攻撃しました。

三方ヶ原の戦いで徳川勢が負けて以来と言われる本陣突き崩しを成し遂げ、「真田日本一の兵 古よりの物語にもこれなき由」と『薩摩旧記』(島津家)に賞賛される活躍を見せました。