お給食


 京都〜小浜の鯖街道で食べた締め鯖定食

 テレビを見ていますと幼稚園の園児が給食の味見をして、今日の給食のメニューとその味を皆に報告するということをやっていました。
それを持ち回りでやるという事は、正確に物事を伝える、皆にきちっと話して報告するという自立心の促進につながることはたしかですからいいことだと思います。
 ところが給食の時間になって食べ始めると、箸やお茶碗の持ちかたはバラバラです。
食事をする姿勢はこれまたばらばらです。そして話をしながら給食を食べています。
それも口に食べ物が入っているのに声を発しています。
そういう状況で「お給食を頂きましょう。お給食はどうでしたか」などと給食に「お」付きです。
お給食などと上品にな表現するなら、お箸やお椀の持ちかたや、お口に食べ物を入れたまま話はしないようにというようなことを教えてやってほしいなぁーと思ってしまいました。
 最近の先生方は作法の効能をご存知でないのではと思ってしまいます。
 仏教では食事の頂き方も大切な修行の一つとしています。
それは精神育成に大きな影響があるからそうしているのです。
 食事の前に「いただきます」といいます。動物だけでなく植物も生きています。それを頂いているのです。

また自然の偉大な力があって、そしてそのことに従事して頑張っておられる人がいるから食材が入手できます。
その有り難さに感謝しての「いただきます」です。そんな難しいことを子供に言ってもというのでなかく。
そういう真実をきちっと教えていく。念仏のように説いて行けば、その時はわからなくても必ずそのことの大切さがわかる年頃になります。
 教育者は楽しいことばかりを優先させないで、幼くても真理、道理をきちっと教えていかなければと思っています。