伊丹子供文化科学館プロネタリア館


昨日は伊丹の子供文化科学館のプロネタリアを見学に行き、スカイパークで飛行機を見て来ました。
 ロマンチックに星座の名前でも覚えたいと思って行ったのですが、覚えるなんてとんでもないことだと思い知らされました。ただ夜空を眺めるだけにしておきます。諦めました。プロネタリア館では撮影禁止ですから残念ながら写真は撮れませんでした。

般若心経-1

 昨日寺院でお参りするときに住所と名前を告げて般若心経の羯諦偈だけを唱えると記しました。
 般若心経と一口言っていますが、正式な経題は「仏説魔訶般若波羅蜜多心経」と言います。
仏説(ぶっせつ)魔訶(まか)般若(はんにゃ)波羅蜜多(はらみつた)
しんぎょ(しんぎょう)
仏説=仏が説いた
魔訶=偉大な
般若=仏の智慧
波羅蜜多=彼岸につく、仏の国につく
心=般若経は沢山あるがその中心的なもの
経=お経

彼岸に渡るための仏が説いた、中心的で偉大な教えてあるということでしょうか。

般若心経

三十三か所札所巡礼が満願となり、今は四国八十八か所札所巡りを初めています。寺院に参りますと先ず手と口を禊をして本堂に行きます。
一礼してから住所と名前を告げて「お導きのほど宜しくお願いします」と述べます。そして般若心経の最後の「羯諦偈」(ぎゃていげ)という呪文の部分だけを唱えて一礼します。
弘法大師高野山奥の院に籠ってから入滅をするまでの期間、般若心経全文を唱える体力がなかったので、最後の羯諦偈だけを唱えていたと伝えられています。そういうことから、梵語のままを唱える羯諦偈を唱えれば般若心経全文を唱えたのと同じだと言われていますので羯諦偈だけを唱えて一礼して礼拝としています。
その呪文は次の通りです。
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提僧莎訶  般若心経
羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)波羅羯諦(はらぎゃてい)
波羅僧羯諦(はらそうぎゃて)菩提僧莎訶(ぼうじそわか)
般若心経(はんにゃしんぎょう)

呪文は翻訳しない方がよいとされているそうですが、弘法大師は意味を分かったうえで唱える方がよいだろうということで翻訳されています。
「往き往きて、よく往きて、真実の仏の世界に往きついて、手に入れた仏の覚りというものは、ほむべきかな」という意味だそうです。

集団的自衛権に対して思う

例えば、尖閣問題、竹島問題、または北朝鮮が嘗ての我が国のように、このままでは体制崩壊は避けられない。同じ崩壊するのならイチかバチか攻撃をしようということになったと仮定しましょう。
この例えば全くの空想であるということではないかもしれません。
そして戦争になったとしましょう。そして日本が単独で戦わなければいけないとすれば、自衛隊だけで対応できるでしょか。
 国民全体が平和ぼけしている現状では日本は勝てないでしょう。
負ければ悲惨な状態になってしまいます。
沖縄などの米軍基地の存続に関して反対の意見がありますが、現状は日米同盟、米軍基地の存続によって、わが国民は安穏としていれるというのが現実ではないでしょうか。
アメリカの傘下にいなけれ尖閣竹島北朝鮮問題ももっと深刻になっていることは間違いないと思います。
そのアメリカ軍が他国から攻撃を受けても支援の攻撃はできない。
法律の改正では集団的自衛権の行使は出来ないというのであれば、憲法9条を改正すべきではないかと思います。
自国は自国の軍で守る。これは独立国としては当たり前の理屈です。
その当たり前の理屈をもっと国民が真剣に考えなければいけないのではと思います。

瀬戸内寂聴さんは凄い

 土曜日の朝の「サワコの朝」に瀬戸内寂聴さんが出演したおられました。
サワコさんが最後に「今の日本人はどういう心の芯を持って、生きていかなければいけないと考えておられますか」と質問されました。
寂聴さんは「私はもう少しで死んで行きますので、日本がこれからどうなるかは考えていませんが、このままでは日本はなくなるかもしれませんね」と答えておられました。
 地震は大昔から起っており、人の力で制止することはできません。でも福島の原発事故は人災なのです。もう二度と悲惨な事故を起こさないようにすることは出来ます。それなのにまだ原発推進を唱える者がいる。そしてその技術を外国に売ろうとしている。それは人の道に外れている。即ち道理から外れた考えであり行為です。経済優先の考えは道理に反しいるということです。
 道理に反した道を選べば国も人も栄える筈がない。そういう考えが蔓延っていけば、そのうち国は疲弊し衰えて行くだろうということです。
 人は死ぬまで勉強と言われています。その勉強とは、様々な考えがありますが、何が道理かを弁え、その道理に則った生き方ができるように努力をすることが、生涯を通しての勉強です。

四国巡礼の学生

25番宝珠山津照寺(しんしょうじ)

 四国八十八か所札所巡りをしていますと、徒歩で巡礼している人も多く見かけます。
24番の最御崎寺に行った時に大学生がお参りを終えて休んでいました。
「歩きながら廻っているのですか」と聞きますと「はい、徳島の一番札所から順に歩いて回っていますということでした。「今日で9日目」ということです。
何故廻っているのかは問いませんでしたが、徒歩で廻るといことは物凄く大変です。
25番から暫くは街道から10km以上も山上に登っていかなければいけないお寺が続きます。恐らく一日に一寺廻れるかという難所なのです。
若者は実に良い顔をしていました。神仏は祈願をしても助けてはくれませんが、きっと難題に遭遇しても負けないで、逞しく立ち向かっていく強さは授けてくれることでしょう。そういう若者こそが菩薩のような気がして手を合わせたい心境でした。

福島原発汚染水漏れ300トン

事故から2年半、事故の後処理の目途さえまだ立っていません。
そしてこの度の汚染水漏れです。
事故は絶対に起こさないようにしなければいけませんが、絶対に事故が起こらないということはありえません。
事故後の後処理の方法も目途もまだ立っていません。汚染水を貯蔵しておくタンクは増え続けています。あのタンクが乱立し、増え続けている光景を見て、原発推進を唱えるのは狂気としかいいようがありません。
 原発推進を唱えるならば、事故を起こしても事故後の処置を短期間に終息させる技術と方法を確立させてから唱えるべきでしょう。
それが出来なのに経済優先で原発を推進すること命よりもお金という本末転倒の考えになってしまいます。