2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「江」の時代の男性の着装

北大路欣也さんが着装している衣服は直垂(したたれ)です。 武家が政権を取った当時は武家社会の服制が整備されていませんでしたので武家の権力者は写真にある狩衣を正装として着装していました。 そして武家の上級者は写真にある直垂を通常の正装として着…

(人生の思い出NO6の附則その一)

私の頭の中には親父が働きに行ったという記憶がありません。 昔は背丈6尺と言えば大男です。親父は6尺近くある背が高くて肩幅も広くガチッとした体格のいい男です。 母はそこに惚れたのかもしれませ。 よく「男らしい」と言います。私も若い時は少しやんち…

(人生の思い出No6)

兄が悪いことをしでかしたらしく母が警察に事情聴取で連行されてしまいました。 警察から四日目に母は帰ってきました。 帰って来てすぐに私たちは家を引き払って夜逃げをするように尼崎に来ました。 尼崎には親父の妹が住んでいましたので伯母さんの家に居候…

「江」を見て思う

お市の方役の鈴木保奈美さんの着物姿は大人の女性のしっとりとした感じが出ていて素敵でした。それに劣らず宮沢りえさんの着物姿も素敵です。 宮沢りえさんの伊右エ門のお茶のコマーシャルの着物姿は、以前から何とも言えない品の良い色香が漂っていて素晴ら…

日章旗掲揚と国歌斉唱

大阪府の橋下知事が日章旗掲揚と国歌斉唱を条例化する為に府会に諮っていることが報じられています。 この年になりますと、そういう話を耳にしますと尤もであると心地よく聞こえてきます。 国とは国土と国民全体を象徴している言葉ではないでしょうか。 私達…

「江」のドラマの衣裳に思う

当時は小袖が中心の時代ですから男女共に普段は小袖姿で過ごすようになっています。 その女性の小袖は現在のようにおはし折を設けて着装するのではなく男性と同じ対丈で、衣紋も垂髪ですから男性と同じように抜きません。 時代考証的に言えば当時の小袖は身…

長門裕之さんを偲んで

現在私がこうして着物に携わって生活が出来ているのは長門裕之さんのお蔭であると言っても過言ではありません。 神戸製鋼を辞めて何も分からずに入った世界が芸能界の衣裳の会社でした。昔東映が全盛期の時は自社で衣裳を持っていましたが、それ以外は衣裳会…

仏教から来た言葉「足を洗う」

紅一点 悪事ときっぱりと縁を切ること。 悪い仕事をやめて堅気の仕事につくこと。 釈迦の時代には僧侶たちは裸足で生活していました。 托鉢や説教に出かける時も裸足のままで外を歩き、寺院に帰ると汚れた足をきれいに洗ってきよめてから寺の中に入りました…

(人生の思い出No5の附則その一)

私には腹違いの兄弟が4人います。4人とも私の家には来たことがありません。 次女の姉は高石の隣の羽衣に住んでいましたので私はよく遊びに行きました。 姉の隣には長男が住んでいましたが、兄貴の嫁さんには馴染めなかったので、姉の所に遊びに行っても隣…

「江」を見ていての衣裳に付いて

公家の女房達は普段は袴を穿いて上に衣を羽織った袿姿(うちきすがた)で過ごしていました。 公家の勢力が衰退し益々武家の力が台頭してきますと、公家社会の服制は簡略化されていきます。 室町時代になりますと袴を穿かないで小袖の上に衣だけを羽織る「は…

(人生の思い出No5)

子供の頃の遊びといいますとビー玉やベッタンはお金が要りますので、かくれんぼ、おにごっこ、チャンバラごっこなどの体を使って遊ぶ遊びが主でした。 缶蹴りなどもやりましたが缶を手に入れるのが困難なためにあまりしませんでした。 毎日夕食の声がかかる…

西国三十三か所4番札所 施福寺

ここをクリックしてください今回は4番札所の施福寺に行ってきました。 神の糸 辿って上る 施福時の 厳しい坂に 有り難さます ここは厳しい坂が長く続くところです。三十三か所は年配者の一つの楽しみになっていますが、足を鍛えて元気でいなければお寺詣り…

仏教から来た言葉「親子は一世夫婦は二世」

過去、現在、未来を仏教では三世と言います。 親と子の関係は現世だけで終わる一世のもの、夫婦関係は現世と来世の二度に渡るつながりの強いものであるという意味です。 「二世を契る」「二世を誓う」は夫婦になること、それを誓う言葉として用います。 この…

奈良県葛城山のツツジ

ここをクリックしてください毎年この時期になりますと葛城山のツツジを見に行っています。 今年は寒かったので開花は少し遅れていましたが、ご覧のようにすべて色付いていました。素晴らしかったです 妻もYouTubeでアップしていますのでお楽しみください。ht…

「江」に見る小袖

安土桃山時代になりますと武家社会の女子の服装は小袖が主となります。 小袖は上級者の間では襦袢などがありませんので、汗取り防寒用の肌着とし当初は用いられていました。 インナーであったものが時代の推移と共に衣服の簡略化が進み次第に表に現れてきて…

仏教から来た言葉「衣鉢を継ぐ」

山法師 衣鉢(いはつ)は僧の衣と托鉢などの時に持つ食器のことです。 弟子が師匠から、その道の奥義や教えを受け継ぎ、後継者として認められることを言います。 また事業や業績を継ぐ時にも使われます。 衣鉢とは、仏教では「三衣一鉢」(さんねいつばつ)…

バラ園

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素敵な喫茶店の巡り合い

美味しいコーヒーを頂きながら一息入れる。 そこが気に入った店ならなおさらに癒される。 しかしそんなに条件の揃った喫茶店は少ない。そんな中でフト心休まる喫茶店に巡り合った。 コーヒーは生豆を自分の店で焙煎して手で豆を挽く、そしてペーパーで入れて…

衣紋道

藤原時代になりますと礼装は日本独自(中国伝来の朝服のアレンジ)の衣服が着用されるようになります。 男子は衣冠束帯(いかんそくたい)、女子は俗に十二単{正式には(唐衣裳)からぎぬも}と言われるものです。 衣冠束帯は平安末期の鳥羽帝以前は凋装束…

阿弥陀かぶり

阿弥陀如来の像の背景には仏の体から発するという後光を表す光背(こうはい)が付けられています。 編笠をかぶったとき、後頭部に極端に傾けると笠の内側の中心から放射線状に走る骨組みが正面に見えます。 それを阿弥陀如来の背に見える後光にみたててこの…

(人生の思い出No4の附則その二)

私達家族は事情があって私が小学校5年に上がる年に阪神の尼崎に引っ越して来ました。 それから結婚をするまで尼崎で育ちましたので、幼い時によく遊んで育った高石には懐かしさはありますが、後ろ髪を惹かれるほどの未練はありません。 親父も同じだと思っ…

舞鶴海上自衛隊基地

舞鶴海上自衛隊基地に行きました。事故を起こしたイージス艦「あたご」も艇留していました。 現状で防衛力が十分であるのか否かは全く分かりませんが、この年になりますと こういう光景を目の当たりにしますと頼もしく感じてしまいます。

天の橋立

[http://www.youtube.com/watch?v=_aXvD8MW3JA:title=三十三か所めぐりで成相山に行き天の橋立を観光してきました クリックしてください画像が出ます]

伊根の舟屋

伊根の舟屋を見てきましたここをクリックしてください

丹後宮津成相寺の左甚五郎の真向の龍 生きています気持ち悪いです。凄いの一言です。

冠位十二階の制で冠の色によって位階が表現されるようになり、紫は徳冠の位階の色として制定されます。 紫微(しび)というのは北斗の北に位置する星の名で、中国の天文学ではここを天帝の居所とされています。 そんなことから天皇の宮殿の意味として用いら…

(人生の思い出No4の附則その一)

私達家族は事情があって私が小学校5年に上がる年に阪神の尼崎に引っ越して来ました。 それから結婚をするまで尼崎で育ちましたので、幼い時によく遊んで育った高石には懐かしさはありますが、後ろ髪を惹かれるほどの未練はありません。 親父も同じだと思っ…

何故十二単と呼称されるのか

何故十二単という俗称が付けられたのか 十二単の単は衣(きぬ)の意味で、衣は上に着装している大袖のきもののことですから、衣を重ねて着たことから付けられたものであることは間違いのないことだと思います。 それでは十二領(りょう=枚)重ねているので…

(人生の思い出No4)

ネコヤナギ 私の記憶が明確に繋がるのは大阪府泉南郡高石町という町の長屋に住まいを始めた頃からです。 今は高石も海は埋め立てられて工場地帯になり、大阪のベットタウンとして栄えていますが、私が子供の頃は国道26号線(今は府道402号線)を越えて西に1…

新緑の欅

新緑の5月というが欅は4月の半ばには萌黄色の葉が芽生えてくる。 ゴールデンウイークの前には新緑が風になびくようになる。 太陽の明かりを透かすように瑞々しく輝いている。 擧は上げるという意味で樹枝はみんな上に稜線を描いている。 樹枝は黒く新緑を…