五常から政治を見る


五常=人が常に守るべき道徳

 聖徳太子は冠位十二階を定めました。
その冠名には仁、礼、信、義、智の五階に大小を儲け、徳は五常を統べるということで徳冠を最上にして十二階と定めました。
その五常を意味を繙いてみますと次のようになります。


仁=愛情を他に及ぼすこと
礼=礼儀作法など社会の秩序を保つための生活規範
信=欺かぬこと、言葉をたがわぬこと、信実
義=道理、条理、物事の理にかなったこと、人間の行うべきすじみち
智=物事を理解し、是非、善悪を弁別する心の作用
徳=それらを備え善行を実践している人のことですから、最上位に置いています。

 政治家など人から先生と呼ばれている人は、五常を備えて徳を積むことが理想です。
理想というのは夢物語ではなく、目標とする最先端に存在するものですから、その理想に一歩でも近づこうという努力が必要です。
ところが社会をリードする層にはそういう理念が欠乏しています。
特に政治家は権力や利害闘争ばかりで「仁」はありません。
会議中には怒声を浴びせたり、居眠りしたで「礼」も欠乏しています。
口先ばかりで一向に実行しないで「信」は全くありません。
借金が嵩んでくれば先ずは議員の数を減らす。報酬も下げる。先を見越しての研究開発には惜しまずにお金を投入する。そういう当たり前の「義」もありません
この度の原発事故で明確に私たちは勉強をしました。事故は絶対に起こらないという絶対は、それこそ絶対にありません。そうであるならば原発縮小〜廃止というのは誰が考えても是です。それも言葉ばかりでどうなることやら「智」も見られません。
 政治家は徳人であることを理想として政治に取り組むべきですが、真に国民を思い憂る愛情も情熱も政治家からは全くかんじられません。
感じられないから一般人は嫌気がさして次第に政治離れをしていきます。
そうなれば益々貧しい人は深みにはまっていきますので、我々国民も反省しなければいけません。
 次の選挙では必ず糾弾してやる。そういう意気込みだけは忘れてはいけないとおもいます。投票率が80%を超えれば必ず世の中は変わるだろうと思います。