2012-12-01から1ヶ月間の記事一覧

エッセイ「人生探訪」仕事編No32

皆さんに知って頂きたいのは、ゴムベルトというのはゴムの弾力で押さえます。 ゴムを伸ばせて縮もうとする力で押さえるわけです。したがって常に縮もうとする力が体に加わっています。それだけ体に圧力がかかっているのです。 その点、腰紐は体に軽くフイッ…

エッセイ「人生探訪」仕事編No31

私は芸能界で働いている時代にアルバイトでストリッパーの着付けを頼まれてしたことがあります。 着付けをしていく段階では最小限に腰紐を使うのですが、出来上がればすべて腰紐は外してしまいます。これは帯を解けば全てが解けて赤の蹴出し(裾除け)だけに…

エッセイ「人生探訪」仕事編No30

他の有名学院の母体は小物会社です。 物品を販売しなければ運営はしていけないことは確かですから、学院販売を反対するよりも、むしろ積極的に進めて行かなければ仕方がないという気持ちです。 ただ学院という名がついて人に指導する所では、合理的であるか…

エッセイ「人生探訪」仕事編No29

付のお稽古に来て、「楽しみ」をテーマに人生論をぶたれると、生徒たちはビックリして、着付けぐらいで「何を大仰な」と随分抵抗を受けました。中にはそういう堅苦しさが嫌で辞めて行かれた人も多数いました。それでも学院として運営していくには、信念と信…

エッセイ「人生探訪」仕事編No28

お稽古に来られる方は、自分できものが着れるようになりたい。そう考えて来られるのですが、「何のために着付が出来るようになりたいとのか」と問いますと、答えに詰まってしまう方がほとんどです。 現在は洋服中心の時代で、日本女性といえども自分で着物が…

エッセイ「人生探訪」仕事編No27

ピクニックセンターから見た甲山 人の生き様は千差万別です。生き方や手段も千差万別に存在しますが、あらゆる枝葉は全て幹につながっています。 人は様々な手段を通して、また様々な工夫をして、如何に自分の人生を潤いのあるものにするか。即ち大きな幹に…

エッセイ「人生探訪」No25

甲山から見た阪神競馬場 日本の服制は随、唐制の模倣から始まっています。 そして平安時代中期以降の藤原時代には唐制のアレンジではありますが、日本固有の服飾が誕生します。 それが男性は衣冠束帯であり、女性は唐衣裳(からぎぬも=十二単)姿です。 服…

エッセイ「人生探訪」仕事編No26

多くの着物学院が存在し、先生と言われる人も多数いらっしゃいますが、私の知る限りにおいては、自分で服飾史を語り、そして各時代衣裳の着付が出来る人は極少数ではないでしょう。そういう意味では専門的なことはなんとか責任を全うできるようにはなりまし…

エッセイ「人生探訪」No24

一年経った段階で3人の生徒が残ってくれています。私にとっては希望の星ですから、配達の暇をみてはキチット指導をしました。その人たちは本当に長く私に付いて来てくれましたので感謝しています。 私が子供の面倒を見て、妻は事務所に通うという生活の基本…

エッセイ「人生探訪」仕事編No23

甲山から見た我が家 アルバイトはお中元、お歳暮の配達です。昭和50年代のことで、当時車を持ち込みで一シーズン終わった時には38万円位になりました。 学院運営は最初の一年間は順調に推移していましたので、助手で手助けをしてくれる人を頼んでいました…

エッセイ「人生探訪」仕事編No22

食べるものは少々我慢や辛抱ができますが、商売をしていますと待ったなしにお金は出ていきます。 幾ら蓄えがあるのか女房に任せ切りですので把握ができていなかったのですが、たいした額でないことだけは見当が付きます。 子供がいることですから、そんなお…

エッセイ「人生探訪」仕事編No21

一年が過ぎてカリキュラムが一巡しますと一区切りになります。 その段階で大半の人は辞めていき残ったのは3人だけです。 生徒の全てが、例えば京都着物学院とか、装道着物学院などの有名学院の先生方でした。 その人たちは各々の学院でキャリアを積んで活躍…

エッセイ「人生探訪」仕事編No20

きもの学院を開校して120人の人が来てくれました。 時代衣裳という特殊な着付ですから当初から月謝10000円で一年間のカリキュラムを組みました。 120人ですから一ヶ月1200000円の収入です。 私が会社を辞めた当時の給料は6万円台でした。 家賃そ…

エッセイ「人生探訪」仕事編No19

始めるに当たっては教室となる基地が必要です。給料の安い会社ですから蓄えはありません。 そこで女房の兄が有名企業の役員をしていましたので資金融資を頼みました。 私は結婚をしてから住居は女房の実家の近くに構えていました。よくあるケースです。 した…

エッセイ「人生探訪」仕事編No18

東京転勤が本格化してきました。 私は時代劇ができましたので、それまでにも東京の新宿コマなどに応援に行ったりして、東京の生活を肌で感じていました。環状線に乗りますと、乗ってる人の服装を見ますとそんなに高級な服装をしている人は少なくて質素です。…

エッセイ「人生探訪」仕事編No17

私はきもの教室に時代衣裳の着付けを教えますのでやりませんかと営業にまわりました。 きもの教室の前進は和装小物会社です。 自社で開発した小物の使い方を、デパートなどで使い方の説明販売をしていました。 それが発端になり、自分で着れない人が増えてい…

エッセイ「人生探訪」仕事編No16

映画の時代劇はテレビ映画だけになってしまい、それも少数です。 その内に大映が閉鎖し、松竹撮影所も閉鎖して東映だけが残りました。 東京での制作は主に現代劇で、時代劇は東映の太秦だけになりました。 京都東映は時代劇が盛んでしたので自社で衣裳も所持…

甲山に登りました

40年振りぐらいになるでしょうか。久しぶりに甲山に登りました。 神呪寺にお参りしてから寺内から登るコースで山頂を目指しました。 山頂までは309mということで、若い時はあっという間に登れたのですが70歳にもなりますと結構きつかったですね。 山頂に…

エッセイ「人生探訪」仕事編No15

私も必死で着せました。足袋の履き方がわからないので足袋専門に履かせる者を連れてきて、履かせてもらいました。 私が着替えの場にいますので、最初は出て行ってほしいとクレームがつきましたが、彼は着付けのプロフェッショナルだからと説明をしてもらいま…

エッセイ「人生探訪」仕事編No14

きもの学院の人たちはどの程度の技量があるか、その段階では全くわかりませんので心配でした。 その心配していたことが現実となりました。 仕事をしていると宝塚歌劇組みの知り合いが。「飯山さんうちの人達と着物学院組みがもめてる」と知らせにきました。…

エッセイ「人生探訪」仕事編No13

お祭り広場では色々のプログラムが展開されましたが、今となってはあまり覚えていません。 一番覚えているのは万博開催最後の日のお祭り広場でのさようならパレードです。 東レが500着の振袖をプレゼントして、世界各国のコンパニオンが振袖を着てパレー…

エッセイ「人生探訪」仕事編No12

名古屋祭りに行きますと50人位を一人で着せるのです。 着付は女性の仕事のように思われますが、こういう仕事は女性では無理ですね。 もう40年も昔の話です。その頃は若い女性でも、きものの下着の付け方ぐらいは皆さん知っていました。ですから肌着は自…

エッセイ「人生探訪」仕事編No11

家康隊ですから時代は江戸時代です。しかし家康が生きていた時代の衣裳は安土桃山時代の小袖なのです。男女共に対丈で、帯は男性の角帯びと同じような細帯です。 それだと仕事が早くて楽に着付けができますが、私の会社は天正物の小袖の綺麗な衣裳がなかった…

エッセイ「人生探訪」仕事編No10

テレビ局で時代劇の制作をしますと、大道具や小道具、衣裳、鬘など現在劇よりも制作費が高くなりますので、時代劇は撮影所で制作をしてテレビ局は放映するだけというパターンが定着し、テレビ局での時代劇制作は極端に少なくなりました。 時代劇の仕事がテレ…

エッセイ「人生探訪」仕事編No9

時代劇の仕事が少なくなってきましたので大阪に帰ってきました。 この時代になりますと映画よりもテレビ時代の到来です。テレビ局では各局でドラマ制作が盛んになりました。 時代劇が入るとテレビ局に常時派遣されている人は時代劇ができませんので、臨時で…

西国観音霊場十一番札所 醍醐寺

春はよし 秋もまたよし 醍醐寺は 妻と一緒に 神に寄り添う 醍醐寺の写真ですご覧くださいhttp://www.youtube.com/watch?v=I6EtRaJBJT8

エッセイ「人生探訪」仕事編No8

生放送の時は忙しかったのですが終わりの時間ははっきりしていました。 ところがビデオの時代になりますと、編集が可能ですから撮影も細やかになり、それだけ時間が掛かるようになりました。そして役者がかけ持ちができますので、役者のスケジュールに合わせ…

エッセイ「人生探訪」仕事編No7

健康保険がある会社という条件での就活の始まりです。私たちの世代には新聞の応募欄が就職探しのメインでしたので、新聞の求人欄を見てさがしました。 現在でもそうですが就職するにあたってはやはり学歴が求められます。 養成校は高校生並みに三年間勉強を…

エッセイ「人生探訪」仕事編No7

健康保険がある会社という条件での就活の始まりです。私たちの世代には新聞の応募欄が就職探しのメインでしたので、新聞の求人欄を見てさがしました。 現在でもそうですが就職するにあたってはやはり学歴が求められます。 養成校は高校生並みに三年間勉強を…

選挙を迎えるに当たって

日曜日の政治討論会で、集団的自衛権に付いて話しておられました。 例えば、日本が他国から武力攻撃を受けた時はアメリカは武力攻撃を行使して助けてくれる。しかしアメリカが攻撃を受けている時は、日本軍が近くにいたとしても武力行使をして助けられない。…