議員に物申す


先日福井に旅行した時に、一泊で行ったのですが泊まりは寝るだけのビジネスホテルでした。
6時前に入ったのですがセミダブル位のベットがあってテレビがあるだけです。
テレビを見るしか時間の過ごし方がありません。早々とベットに横たわってテレビを見ていました。
ちょうどたけしのTVタックルが3時間の特番でしたので、妻と様々に人物批評をしながら見ていました。
 民主党の実行力のなさに付いて様々に突っ込まれていました。その突っ込みに対して、前財務副大臣桜井充さんが、「私たち民主党の議員も懸命に頑張っているのだ」、「何もしていないような言い方はやめてくれ」と声を荒らげて興奮気味に訴えていました。
東国原さんがゲストで出演していまして、たけしさんの隣に座っていたので、たけしさんは弟子にもっと突っ込めとつついていました。
「私たちも頑張っています。必ずやります」などと,テレビでは公言しながら実行されたことがない。
そのことにたけしさんも苛立っていて、東国原さんにもっと突っ込めとはっぱをかけておられたのではないでしょうか。
 民主党議員の先生方、はたまたその他の政治家の先生方。
人間は死ぬまで勉強と昔から言われています。その勉強とは道理を弁え如何に道理に則って生きるかを生涯をかけて勉強するということです。
 家庭も会社も国も同じです。収入が減って困窮してくれば、先ずは生活費を切り詰めて始末する。
先ずは出ていくお金を減らすことにつとめます。それでもなんとも成らなければ、そこで初めて恥を偲んで親兄弟、親戚縁者に泣きついて行くものです。それもしないで泣きついていって誰が相手にしてくれますか。
 議員の数削減と報酬カット、そして公務員も同じく両者を削減する。そういう努力を懸命に行う。それでもおそらくどうにもならないでしょうから、国民に負担をお願いする。
誰が考えてもこれが道理です。
 その道理に則って実行できないから、国民は嘆き罵声を浴びせるのです。
 実行の成果が何んにも見えないのに「私たちも頑張っているのです」と言うのは、あまりにも拙い言い方です。

それなら「自分もそう考えて頑張っているが、それを実行させる自分には力がないから申し訳がない」「残念だ」と言えば、まだそうだろうなと聞けます。
 「やります」と言いながら、実行の成果が見えていないのに「自分たちは頑張っている」なんて拙い言葉を国民の代表の議員から聞きたくないですね。