(人生の思い出No3の附則その一)

人生には辛いこと苦しいことは多々ありますが、どんなに生活が困窮していても幼い頃はそれが辛いと思う事はありません。
親は十分なことがしてやれないからと思い悩む事はあるでしょうが、子供は全くそういうことは分かりません。私の妻は4人の子供があり上の子が10歳の時に離婚をしています。
親や兄弟に頼ることなく苦労して子供を育てています。
当然貧しく子供たちにはひもじい思いをさせたと回顧していますが、子供たちは自分たちの家は貧乏だったとは思っていなかったようだと話しています。
それは私も同じで親父が働かない人だったから私の家も大変貧乏でしたが、子供の頃はそんな感じ方はしなかったです。
貧乏なんてことは比較論であって、大きくなって様々に欲望が募ってから感じることであって、毎日食べれて遊べている子供の頃はそういう事は感じません。
ただ食べて行く事は大きくなれば自分の力で行わなければいけません。
食べるためには働らかなければいけません。その働きは学歴や能力によって職種が異なり、収入も異なって差異が生じてきます。
人間は欲深い動物で欲望を抑えることは難しいのが現実です。自分の力では入手困難な物にもあこがれをもち執着心を強めたりします。その欲望が実現できなければ自分は駄目な人間だ、貧乏だ等と悲観してしまい、自分の人生を暗いものにしてしまいます。
物なんてものは自分の生活を豊かにする小道具や大道具であって、そういう物が無くても心豊かに過ごす事は可能で、そういう人生が送れればそれが理想の生き方です。
ですから仏教では「色即是空」何事にもこだわるなと教えています。