(人生の思い出No3)

人生の記憶は小学校の高学年くらいからは一本の線になって覚えていますが、それまでの記憶は断片的に記憶しているのが一般的ではないでしょうか。
そんな中で幼少の頃の記憶がほんの一コマですが覚えているものがあります。その一つが、誰かに抱かれて竹藪の中にある防空壕の入り口から空を見上げてアメリカのB29の空襲を見ている記憶です。
私は1942年の一月生まれで、父母は大阪近辺から遠くに住まいしたことがないみたいですから、恐らくそれは1945年の3月から始まった大阪大空襲の一コマではなかったでしょうか。
1945年の8月15日正午に玉音放送があり終戦が告げられました。その年の3月13日14日 ・6月1日・6月7日・6月15日・6月26日・堺大空7月10日・京橋大空襲8月14日でその京橋大空襲は大阪城の京橋寄りに兵器の生産工場があったのでそれを空爆したものですが、強風で流されて京橋を空爆したといわれています。
 父母は私の知る限り京橋方面は全く縁のない人ですから、私の見たB29は8月14日以外の大阪空襲の一コマであったのではと思います。
 その時私は3歳になっていましたので、あたふたと防空壕に逃れる人の慌ただしさ、その一コマだけ脳裏に焼き付いて記憶しています。
 その当時父母は食べ物のことや住まいのことで、定住することなく転々とした生活であったようです。
私が明確に現在までつながる記憶を持つようになったのは小学校の4年生ぐらいからで、それ以前の生活は全く記憶に残っていません。