(人生の思い出No4)


   ネコヤナギ

 私の記憶が明確に繋がるのは大阪府泉南郡高石町という町の長屋に住まいを始めた頃からです。
 今は高石も海は埋め立てられて工場地帯になり、大阪のベットタウンとして栄えていますが、私が子供の頃は国道26号線(今は府道402号線)を越えて西に1kmも行かないところが海で、その海は透き通ってきれいで、海水浴場ではありませんが近くの人はよく泳ぎに来ていました。
 直ぐ北側には有名な羽衣の松林があるところです。
明治時代に整備され日本で初めての公園として指定されたところです。景色の素晴らしいところですから戦後はそこに進駐軍がキャンプ場を設け、海続きになっている海岸もそこの海には立ち入り禁止になっていました。
 私には上に腹違いの兄姉が4人いて次女がそのキャンプ場にお手伝いとして働きに行っていましたので、時々チョコレートを貰ってきて私も頂いたことがあります。チョコレートなんてものは見たこともないし勿論食べたこともないのでその旨さに驚いたのを覚えています。
 浪打際の直ぐ近くにトタン屋根でつくった掘立小屋があって、漁をしてきたイワシを茹でてイリジャコにする所です。船からセイロに入れたイワシが陸揚げされている光景にときどき出食わせました。
そんな時に陸揚げを手伝いますと、「おいイワシ持って帰れ」と言って肌着のシャツの首の部分を結んでそこに山盛り入れて持たせてくれました。
 近くに南海本線が南北に走っており南海電車の東側は見渡す限りの田んぼでした。
阿部保名(あべやすな)と「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」と障子に書いて去った白狐の葛の葉の伝説で有名な葛葉稲荷のある信太山です。その信太山が何の遮る建物もなく直ぐ近くに見えているという田園風景が広がったきれいな所でした。