仏教から来た言葉「足を洗う」

           紅一点

 悪事ときっぱりと縁を切ること。
悪い仕事をやめて堅気の仕事につくこと。
 釈迦の時代には僧侶たちは裸足で生活していました。
托鉢や説教に出かける時も裸足のままで外を歩き、寺院に帰ると汚れた足をきれいに洗ってきよめてから寺の中に入りました。この足を洗う習慣を世間で言われる汚れた世間から心身ともにきれいになることにたとえて使うようになりました。