「江」に見る小袖

安土桃山時代になりますと武家社会の女子の服装は小袖が主となります。
小袖は上級者の間では襦袢などがありませんので、汗取り防寒用の肌着とし当初は用いられていました。
 インナーであったものが時代の推移と共に衣服の簡略化が進み次第に表に現れてきて、ついに表着(うわぎ)として用いられるようになります。肌着として使われていた時代には白であったものが、露出度が高くなってくると次第に彩色が施されるようになります。
 模様付けは蟖纈染(ろうけつ=蝋けつ染)、夾纈染(けうけつそめ=板締め染)、纐纈染(こうけつそめ=絞り染)という染め方が奈良時代からあり、室町時代には簡単な型染も行われるようになっています。
 模様に様々な彩色を施して仕上げるというのは友禅染が考案されてからのことで、それは江戸の元禄頃です。それまでの細やかな模様の彩色は刺繍で施されていました。

 夾纈染は板に彫刻をして板で裂(きれ=絹の布をいいます)を挟んで染めます。そうしますと彫刻された模様の部分が防染されて白く残ります。
纐纈染は糸や紐等で布を縛ってその部分を防染して染めます。その部分が白く残ります。
その白く模様どりされた部分に刺繍で彩色して模様を仕上げます。
そういう手の込んだ染は礼装、盛装用として用います。
普段下級者は簡単な型染の模様小袖を着ています。

 写真の小袖は肩裾模様と熨斗模様の小袖です。
肩裾は胴の部分は板染で白く残し刺繍で模様を彩色しています。
熨斗目は肩裾とは逆に胴の部分にだけ模様を配したものです。
「江」を見ていますとさすがにNHKだという気がいたします。
全て別染めですし時代考証に則って小袖が作られているのには感心します。
 最近民放の時代劇を見ていますと形だけは時代考証にのっとっていますが、小袖の染色は化繊の安価な市販品をそのまま使っているのがほとんどです。予算がないからでしょうね。