長門裕之さんを偲んで


現在私がこうして着物に携わって生活が出来ているのは長門裕之さんのお蔭であると言っても過言ではありません。
神戸製鋼を辞めて何も分からずに入った世界が芸能界の衣裳の会社でした。昔東映が全盛期の時は自社で衣裳を持っていましたが、それ以外は衣裳会社が持ち込んで現場の担当までするというのが芸能界の実態です。何も分からず入った世界ですが、この業界で仕事をする限りは時代劇が出来なければ衣裳屋とは言えない気がしましたので、志願して京都の撮影所に行かせてもらいました。
一本立ち出来るようになって派遣されたのが長門さんが社長を勤めている人間プロの映画製作でした。そんなご縁で舞台の興業の旅回りもご一緒させて頂きました。
長門さんはマージャンと将棋が大好きで、劇場入りをして部屋着に着替えたら直ぐに付き人が私をが呼びにきます。
将棋の相手です。長門さんが出番で舞台に出ている時と、私が着付けの仕事のある間以外は将棋漬けです。
私が負けると一番で100円払い、私が勝つと1000円貰えるのですがなかなか勝てません。旅に出て公演が終わって旅館に帰れば毎日徹夜マージャンです。楽しかったですね。
 人間プロの仕事が終わって会社に帰ってから私は女房の家が小さな町工場を経営していましたの、手伝うために会社をやめました。裏方の仕事は面白いけれども給料が安いのでこのままでは子供を大学にもやってやれないから、女房の家を手伝うようのなったのです。手伝い始めて直ぐに「しまった」と思いました。
そのまま大人しく女房の家の仕事を手伝っていれば食べることには困らなかったでしょう。しかし男として自分の将来がない。男は自身の力で身を立てなければということを思い知らされて悶々としていました。そんな時に神戸の国際会館に長門さんが舞台公演で来ていましたので部屋見舞いを兼ねて遊びに行きました。

「おい飯山どうしてるんや」「実はあれからこれこれです」と説明をしますと、「お前のように仕事ができる者がこのままでは勿体ないやないか」「戻る気はないのか」と行ってくださいました。「実はしまったとおもっているのですが会社を辞めてしまったから戻れません」と言いました。そうすると「戻るつもりがあるのなら俺が会社に戻してほしいと頼んでやる」と言ってくれました。
そして翌日に会社から電話が掛かってきて長門さんから頼まれたので「特例として社員として戻す」と言ってくれました。そういう長門さんの力添えがあったからこそ、その後学院をお越し独立できたという御恩があります。
長門様どうも有り難うございました。安らかにお休みください。