(人生の思い出No5)

子供の頃の遊びといいますとビー玉やベッタンはお金が要りますので、かくれんぼ、おにごっこ、チャンバラごっこなどの体を使って遊ぶ遊びが主でした。
缶蹴りなどもやりましたが缶を手に入れるのが困難なためにあまりしませんでした。
毎日夕食の声がかかるまで外で動き回って遊んでいました。
そんな日常でしたが私が5年生に上がる年に尼崎に引っ越しました。
私はその場は見ていないのですが、兄が友人の盗品を持ってきて親父に預けたようです。
その兄が警察に捕まったと聞いて親父は私たちを残して逃げてしまいました。
警察が家に来て家探しをしました。そうすると天井から盗品が出てきました。
母は一切関わってはいませんが、親父が預かったのですから当然母も同罪として事情聴取で警察に連れていかれました。
その時に私の下の妹はまだ乳児でしたから母が一緒に連れて行きました。
大きくなってから妹に「お前は3日間留置所に入ったんだよ、そのことは知らんやろ」とからかったことがあります。
私は四年生ですぐ下の妹が一年生で、それまでに竈の火を起こすことは何回も手伝ったことがありますが、ご飯を炊いたことがありません。私には腹違いの姉が二人います。
下の姉の方がその間家に来て食事の支度をしてくれました。その姉はそれまでに一度も家に来たことがありません。高石の隣の羽衣という所に住んでいますので、一駅ですから私はよく歩いて遊びに行ったことがありますが、姉が家に来てくれたのは初めてです。
初めて家に来てくれたことが物凄く大きな喜びで、そのことを大きくなるまで忘れたことはありません。