(人生の思い出No6)

兄が悪いことをしでかしたらしく母が警察に事情聴取で連行されてしまいました。
警察から四日目に母は帰ってきました。
帰って来てすぐに私たちは家を引き払って夜逃げをするように尼崎に来ました。
尼崎には親父の妹が住んでいましたので伯母さんの家に居候しました。
それはわずかの間です。母は商売をしていて頑張っていましたので小金を持っていたのでしょう、すぐに伯母
の近くで家を買いました。
二階建ての家で阪神出屋敷の駅に近いところでした。
その時に私は5年生に上がる春休みで、4月からは5年生になれるはずなのが一年留年させられました。
今に思えば直ぐに市役所に住民登録をすると居所がばれるからではなかったかと思います。
尼崎に引っ越してから母は商売のお得意さんもなくなり働けません。
親父も事情が事情ですから直ぐには働けませんので屋台を作って大福餅を鉄板で焼いて売ろうという事に
なりました。
リヤカーにお好み焼きの台を載せて、練炭で鉄板を温めて餅を焼くという簡単なものでした。
親父の後ろからリヤカーを押して人通りの多いところに止めて売るのです。
リヤカーを止めて売るのですが「いらっしゃいませ。おいしい焼き大福はいかがですか」と呼び込みをしなければ売れません。
段取りが出来てさぁーこれからという時には親父はいません。
母は行商をしていて飛び込みで各家に入って営業をしていましたので、人と接する事は慣れていますが、親父は私の知るかぎり仕事をしたことがないのですから、恥ずかしくてそういうことができないのでしょう。「いらっしゃい美味しいですよ、いかがですか」と呼び込むことやら餅を焼くことまで全て私がすることになりました。しかしそういう商売も一年と続きませんでした。