(人生の思い出No4の附則その一)

私達家族は事情があって私が小学校5年に上がる年に阪神の尼崎に引っ越して来ました。
それから結婚をするまで尼崎で育ちましたので、幼い時によく遊んで育った高石には懐かしさはありますが、後ろ髪を惹かれるほどの未練はありません。
 親父も同じだと思っていたのですが親父は自分が青春時代を過ごして妻をめとって生活を始めたのが南海沿線ですから、南海沿線は望郷の念が強いらしく、尼崎で亡くなったのですが、墓は高石に設けていました。墓は高石の26号線沿いにあり、その墓からまっすぐに東に大きな道があります。羽衣に進駐軍がいた関係でその道には戦車もよく通りました。
ジープやトラックや戦車が通りますと私達子供にも日本は負けたという気持ちがありましたので、怖いものを見るように物陰に隠れて通り過ぎるのを待っていました。
 よく遊んだその道は戦車が通るくらいに広い道だったと記憶していたのですが、大人になって墓参りに行ったついでに,よく遊んだその辺りを見に行ったのですが、大きなトラックだとすれ違いが出来ないのではと思うくらい狭い道でした。子供の頃には大きく見えた道や家が大人になって見ればそんなに大きいものではなかったという経験は皆さんされていると思います。