喜怒哀楽の怒哀


人生は喜怒哀楽の繰り返しです。
司馬遼太郎の本の中で吉田松蔭は牢中で、人生は喜怒哀楽の繰り返しで11歳の少年でも既にそれを経験している。
人生はそのことの繰り返しだから自分はいつ死んでも惜しくない。
ただ自分を必要としてくれて、世の中のために役立つのであれば生きたいと言っています。


 そうです人は喜楽が多ければ喜び、悲しいことや寂しいこと、うまくいかない事があれば怒り嘆きます。人生は正に喜怒哀楽の繰り返しです。
 人間は一度しかない命ですから、面白おかしく、楽しく生きたいと常に喜楽を求めます。
これは人間の誰もが持つ欲です。
ところがお金のことにしても、愛情面でも、人間関係においても自分の思い通りにはいきません。
思い通りに行けばそのことが喜楽になっていくのですが、人生は重たい荷物を背負って坂道を登るが如くという格言がある通り、うまくいかないことの方が多いのです。
旨くいかなければそれは当然怒哀になっていきます。
だから人生は喜楽よりも怒哀の方が多いのです。
 


 人間は宿命というどうすることもできない重たいものを背負っています。
自分のいま置かれている立場や環境を考えれば、どうすることもできないのに、例えばもっとお金が有ったらなどと考えてしま怒哀を増幅させてしまいます。


 例えば、会社で当人にはそんなに力も無いのに、自分の地位や扱いについて不満を持っている人も少なくありません。
自分の力ではどうすることもできないのに、自分は自分はと自己過信しています。
自己過信はあらゆる方面で見かけます。そのようにして自分に負荷を掛けて怒哀を生んでいます。
そういう人には発想の転換が必要です。

 世の中には自分よりも優れた人が履いて捨てるほどいます。
そんな中で自分みたいな能力の無い者を雇用してくれている。「ありがた」と思えるようになれば仕事の負担は楽になります。そしていくらでも頑張れます。そして気持ちよく頑張った人が大きな喜楽を手に入れる事ができるのです。


全ては自分との戦いです。気持ちの持ちかた発想の転換です。自分は賢い、自分はと自己過信ばかりの人のところには怒哀ばかりが訪れるのです。。