人世は数式No7

お金も駄目、愛も当てにならない。それではその他に何か喜楽につなげるものはあるのか。
それが分からないという人が多数います。
 それを理解するには、喜楽には刹那的なものと、自分の心掛け次第では永続するものと二通りの 喜楽があることを理解しなければいけません。
人はどうなることが最も楽しく、充実した気持ちになれるのでしょうか。
 それは世間の人から「あの人は素晴らしい人だ」という、自分の存在価値を認めてもらえることです。
 自分の存在価値が承認される喜楽に付いては、経験の無い人には理解できないという問題点があります。
 一般的には苦労、努力、辛抱、我慢などはしたくないというのが圧倒的だと思います。
 ところが世間にはそれを進んで買って出て、自分を高めようと努力する人がいます。何故皆が避けたが苦労を率先して行おうとするのでしょうか。

 それは苦労や努力の先には生甲斐となる大きな喜楽が待っている。そのことが分かっているから苦労に耐えて頑張るんのです。
 医科大学を目指している子供達は小学生のまだ遊び盛りの時から、夜遅くまで塾に行って頑張っています。そういう子供達を見て、子供は子供らしくもっと伸び伸びと自由にさせてあげなければと、理解のあるような事を言う大人がいますが、そういう大人こそ人生が分かっていないのです。
 医者の子供は大抵子供も医者に成っています。それは子供が自分の親を見ていて、一般の方々よりも自分の親は裕福に暮らしている。世間から尊敬されている。自分の親は何時も楽しく仕事をしている。そういう親の姿を見ているから、自分も親のようになりたいと思って頑張るのです。
 自主性がなければあんなに頑張れません。永続性のある喜楽を手に入れるために自分から率先してやる気を待って頑張っているのです。
私はよくカラオケ喫茶に行きます。来ておられる皆さんはお酒も飲まないで、一生懸命に歌に精を出されています。何故あんなに一生懸命になれるのでしょうか。
 多少の上手、下手の差異はありますが、大変失礼ですが間違っても歌手になれるような歌ではありません。それでも一生懸命になるのは、あの人は上手だと他者から称賛されたいからです。
 人よりも上手だということが自分のプライドをくすぐって、大きな喜楽につながるから頑張って歌っているのです。
 こういう例から人は自己の存在が賞賛されることが一番大きな喜楽になるということを、理解することです。