人世は数式No1


勉強が好きだという人がいますが、一般的には努力や苦労の伴うものを好きだという人は少ないでしょう。
 好きでなくても充実した人生を過ごしたいと希望している限りは、やらなければ仕方がないから皆さん頑張ります。
結婚は相手のためにするのではありません。結婚によって自分が幸せになれると思うからです。子供を設ければ慈しんで育てます。
 使命感に燃えているヤングママさん達の中には、私は子供のために生きているという人がいます。 

男性の中には「俺は家族のために一生懸命に働いている」という人がいます。それは錯覚です。

子供の存在は親自身の人生を生甲斐のあるものにしてくれるから大切にするのです。

 親の中には子供を虐待してしまう親も少なくありません。その事実が親は子供のために生きているのではないことを証明しています。
 こういう事実から人は自分のために生きている。生きていくための根本について、それが真理であることを認識しておくことが大切です。 
 私は35年間きもの学院を運営して来ました。最初からこういう人生哲学を理解していたわけではありません。

最初は経営的に厳しい状況でしたので、どうすれば経営的にうまくいくかに明け暮れていました。懸命にもがいた結果分かったことは、きものなんか無くても生活に何も困らない。
そんなものに携わって生きていくには、着付という技術面だけでなく、日本の伝統文化である道というものを、生徒と共有する以外にないというところに行きつきました。
 何をするにしても、今取り組んでいることが、誰のために、何のために、そして取り組んでいることが自己の人生にどう関わってくるくるかという確かな理解がなければ、簡単に投げ出したり、挫折してしまうからです。
 そういう考えに行きついてからは、私は着付とは全く無縁だと思っておられる人生論に付いてよく話をしました。
 その話の中で先ず皆さんにお聞きするのは「人は何を目的に生きているか」ということです。