撫で仏


    撫でられて 輝く仏 民の願

お詣りをして願掛けをすれば何故か心が落ち着きます。
神仏に抱かれるということはそういうことでしょうか。
願いをすれば叶えて頂けると純粋に思っている人もいますが、私は他力ではなく、神仏に素直に頭を垂れて感謝することによって、前に突き進む心を養うものだと信じています。
 テレビでしか知りませんが紛争のある国に行きますと本当に悲惨な生活を強いられている人が多数います。
ああいう所の子供たちを見ていると、既に紛争が始まって20年、そんな中で生まれてきて、これから先何時まで紛争が続くのか知れない。私達の平和な生活から比べれば本当に可哀想の一言です。
そんな環境の中でも子供たちは子供たちなりに知恵をしぼり、懸命に生きています。
あの姿を見ていると、あんな悲惨な状態ばかりが強いられるのなら、いっそ生まれて来なければよかったのではなどとと、軽々しいことは言えません。授かった命は生きていることが貴重なのです。
みんな必死で生きています。生きている限りは喜楽が少しでも多い方がいいから神頼みに行きます。
そしてご利益があろうがなかろうが、自分の気持ちの安らぎのために撫で仏は撫でて撫でて撫でまくってご利益を念じます。仏の輝きはみんなの希望の証です。