谷汲みさん

地元の人から「谷汲みさん」と親しみを込めて呼ばれる西国三十三ヶ所の満願霊場
延暦17年(798)創建と伝わる寺には、次のような縁起が残っています。
会津の黒河郷に住む大口大領という熱心な観音信者が、ある時十一面観音像を建立したいと願って近くの村の文殊堂に毎日願掛けに通っていた。すると夢のなかに観音菩薩が現れて榎の木を示したので、大領はさっそくその木を切って、京都の仏師に頼んで観音菩薩を彫ってもらった。
しかしようやく彫ってもらった観音を会津まで運ぶ途中、谷汲村まできて仏像がピタリと動かなくなった。「観音さまはここに祀って欲しいのだな」と考えた大領は、そこに堂を建てて像を安置した。すると近くの洞窟から油が湧き出し、灯明に困ることはなかったという。この油を汲んだ故事から山号の「谷汲」、観音さまに華厳経が写経されていたことから「華厳寺」の名がついたといわれています。