苦労した勉強

 我が国の文化は衣服も含めて大陸文化の模倣から始まっています。
平安時代藤原氏の時代になって日本独自の文化が発生し衣服も日本独自の様式が出現します。それが衣冠束帯と十二単です。
しかし依然として礼服は中国の模倣のままです。それは儀礼によって使い分けられました。
どういう儀礼の時にはこちらの衣服を着用するということも勉強しなければ教えられません。

 鎌倉時代になって武家が政権を握りますが文化上は公家生活のままで、衣服においても公家社会の衣服が中心です。
 それが室町時代になりますと武家文化が発展して衣服も武家社会の礼服が制定されます。
 武家は宮中における儀礼武家社会のおける儀礼によって衣服を使い分けることがなされます。礼服も大礼服、礼服、通常礼服と多岐にわたって様式が出来、それもどういう儀礼時にはこれを着用するといことを知らなければいけません。
 
 江戸時代は武家中心の時代ですが三位は直垂、四位は狩衣、五位は大紋、六位以下は素襖というように身分によって着る衣服が異なります。
このように衣服は時代背景を映し出して様々に変遷していきます。そしてその衣服の一つ一つの名称の漢字が物凄く難しいのです。
 詳解漢和中字典を片手に辞書をめくるめくるばかりで前にすすめません。一文字ずつリボンをつけていきます。大変な作業です。
 一ページを読めるようにするには何十回も辞書をめくりました。それが200ページ位の本ですから大変な苦労でした。
ただ一つ救いだったのは私には衣服の形状が分かっており着付けを手がけたことがありますので、その分早く覚えることが出来たことです。


 服飾史が習得出来ましたので、これから勉強をしてみようかないう人の為に、難しい文字には全てリボンを付けて読みやすくし、理解しやすいように写真を添付して自分で解説書をまとめました。
 こういう苦労をして分かった事があります。
人には生まれつきの天才児と言う人達がいますが、そういうのは例外で人の能力というものは当初はみな同じレベルなのではないかと思います。
 知識というのもは物事に関心があるか否か、そのものを必要と強く思っているか否か、などの精神状態で差異が出来てしまうだけなのです。本当に必要に迫られてやるぞという気持ちになれば、誰もが知識人に成れるのです。
成績は自主性と情熱で決まってしまいますので、親は子供を甘やかさないで自主性のある子供に育てる事が大切ですし、勉強はやろうと思えば年齢に関係なくやれますね。


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