知ることの大切さ

 「喜楽が得られれば」〜「心地良い気分になり」〜「充実感や幸せ感を覚える」
心理状態はそのようにリンクしています。
 誰もが幸せになりたい、充実した人生を過ごしたいと希望しています。人生は如何に大きく永続性のある喜楽を得るかが課題ですから、それは本能的に皆さん理解せれていますので、様々な手段で喜楽を得たいと模索しています。
 欲望は喜楽を得たいという心の求めであって、その欲望は例えばいくら信仰をしても多少制御出来る心の柔軟さを養えるだけで、聖人のように欲望を消し去ることはできません。
 凡人は様々な手段で喜楽を求め続けるのです。歳を老いてくると欲望が少なくなるので丸くなっていくのですね。

 何の苦労や努力をしなくても喜楽を手に入れることが出来るのは、お金を使って得れる娯楽や趣味です。娯楽や趣味はお金さえ出せば簡単に手に入れることが出来るので、多くの人はお金お金とお金に執着しお金が全てだと思ってしまうわけです。
 確かにお金を所持していれば多くの喜楽を手に入れることはできます。
しかしそういう喜楽で人生を充実させる事が出来るかと言えばそうではないのです。
 お金で人生の充実が買えるのであれば、私のような貧乏人は幸せになれないというラベルを貼られたも同然ですが、そんなに単純でないのが人生の妙味です。

 お金は使うばかりでは真の人生の充実は得られません。お金は儲けるという過程のなかで様々に勉学をし行って心の充実が得られるようになるものです。
 明日食べることに困窮している人に礼節を弁えろと言っても無理があるのと同じで、仕事から得られる喜楽を経験していない人に、この道理を理解しろと言っても実感として捉えることの出来ない難しさがあります。そういう人は「何を寝ぼけたことを言ってるんだ金さえあればどうにでもなるんだ」と相変わらず唱えていると思います。

 私は一番幸せな生き方をしている人は、仕事が楽しい生き甲斐だという人だと思います。
そういう人の所には自然とお金も寄って行きます。お金は高い所に流れます。
そういう生き方が出来ている人は、私が唱えているようなことは良く理解できていて「そうだその通りだ」と言ってくれます。
 
 世の中には娯楽や男女愛から得れる喜楽ばかりを求めて生活している人が沢山います、そういう人達に人生は一度きりだから「もっと大きな喜楽もあることを知ってくださいね」と、老婆心ながら訴えるようにしているのですが、分かって欲しい人達にかぎり無関心であったり、理解してもらえないというもどかしさがあります。
 だから人生は様々な階層の人がいて面白いのかもしれませんね。
 面白いかもしれませんが私が知っている人にだけは大きな喜楽を手に入れて欲しいので訴え続けます。