良質の喜楽とは

何回も記しましたが大切なことですからまた書きます。
人の生きて行き最大の課題は良質な喜楽(永続性のある喜楽)を得る事です。
 人は・寝ること・遊ぶこと・仕事をする事のサイクルの中で生活をしています。
寝る事と遊ぶことは身体と心をリフレッシュさせて、明日からの仕事に弾みをつけるためのものですから、そういうものからは良質な喜楽は得られません。
 良質な喜楽は仕事をすることでしか得られないのです。仕事は生き甲斐だ楽しいという人は既に良質の喜楽を得ておられるので問題はありませんが、問題は仕事は生活の為に嫌だけど我慢して働いているという人達です。
主婦業が生き甲斐だという人を今まで見たことはありませんので主婦もその一人です。
 そいう人達はどうしても趣味や娯楽や飲食などで心を癒すことに終始してしまいがちです。
趣味や娯楽や飲食で得られる喜楽は刹那的で永続性がありません。
 刹那的ですから次から次にと同じことを追い求めてしまいます。限りなくお金が続けばいいですが使えるお金には限度がありますので我慢や辛抱を強いられます。恐らく我慢や辛抱を強いられる事の方が多いでしょう。
 我慢や辛抱の多い生活は不平不満ばかりの生活になってしまいます。そういう生活はしんどいです。酒でも飲んで憂さを晴らさなければやってられないということになってしまうでしょうね。

 誰もが社長や管理職に成れて出世するわけではありません。遣り甲斐や生き甲斐を感じながら仕事が出来るわけでもありません。ならばどうすればいいのでしょうか。
 人は自分は賢い偉いんだというプライドが無ければ生きて行けない動物です。
 プライドが強いから自分の置かれている立場に何時も不平不満をぶつけます。ぶつけても解消するわけでもないし、逆に立場がわるくなるだけなのですが、不平不満を鬱積させてしまうのが一般的です。一般的にはそうなのですが、それだは何の解決もしません。
 
 自分の価値は自分で決めるものではありません。人が決めます。多くの意見としてあいつは駄目な奴だと評価されればその人は社会的には駄目な人なのです。
人は自分のことは抜きにして、他人の事は良く見ています。そしてその批評は概ね良く当たっています。
だから自分は自分はと自分を誇示しないで、自分のような者でもこうして雇ってくれて働かせてくれている。「有り難いことだ」と思えば、どんな仕事でもその仕事は苦にならないで楽しんで出来るようになります。全ては自分との戦いであり、発想の転換で解決できるのです。
 「自分のような駄目人間でも有り難い」と思えるようになれば出世をした人間よりも楽しく仕事が出来るようになります。
頑張っても駄目な時は、その次は阿呆に成りきれる大切さを勉強する事です。