袖の形の変遷

着物のことを昔は小袖と言っていました。
これは公家の着装する衣の大袖に対して上図の左上のように小さい搾袖(つつそで=筒袖)だったのでそのような名称がつけられました。
小袖は上流階級では当初は内衣として用いられていたのですが、衣服の簡略化が進むにつれて次第に表に現れる部分が多くなり、白色だったものに色や絵模様がほどこされるようになります。
 そして安土・桃山時代には小袖中心の時代にとなります。
小袖中心の時代というのは、公服は公家社会、武家武家社会の中で確立された服制というものが存在するのですが、安土・桃山時代になると貴賤・男女を問わず小袖を着て過ごすようになるということです。
小袖が表衣化しますと身幅、身丈も変化をして行くのですが、特に大きく変化をするのは袖です。
安土・桃山時代になりますと上図右のように筒袖から少し袂(たもと)が膨らんで薙刀なぎなた)袖になります。
 元禄時代になりますと更に袂が大きくなって、下図左のように元禄袖と言われるようになります。そして宝歴(1704〜1711年)年間になりますと現在の角袖と言われる形になります。
角袖は四文銭で丸みを付けましたので銭丸(ぜにまる)袖とも言います。
上図の小袖を見て頂きますと、袖付けが下まで付けられたものと、現在の女性のきものと同じで振りが付けられたものとが見られます。
袖は振りの無いものが本来のお袖の形ですが、袖丈が長くなり、帯幅が広くなったことで上図右下のように明和年間になると振りが付けられることが一般化します。 
但し、武家の女房は庶民の真似をしないで留袖(振りの無いお袖のこと)で通しました。昔は結婚をすれば留袖仕立てにするのが習わしでしたから、留袖はミセスを表す言葉として使われています。

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