人生という空間

人生とは生まれてから死ぬまでの有限の時間・空間を言います。
私は若い時はこういうことすらも認識出来ていなかったのです。
 宿命的なものがあって空間の長さは長短まちまちですが、空間の中身は喜怒哀楽によって存在しているという点において人間社会は全て同じです。
 人間は喜怒哀楽によって生きている動物です。
喜怒哀楽によって生きているという事は意識次第という事です。意識次第という事は仏教の教えのように色(しき)に拘ることなく静安に生きて行く事は可能なのです。

 晩年の庵に住まう良寛和尚のように飯を頂く器はかけていて汚いものであっても、それ一つあればそれで十分とい生活でも静安に生きて行く事はできます。私達は終極のところ幸不幸は心の持ち方次第であるという真理だけは知っておくべきです。
 乞食と西条法師や良寛の違いは色の世界では区別できないが、大きな違いは欲を持っているか否かの違いだといわれています。
 我々凡人はどうしても色にこだわり、色によって喜楽を増幅させたいと念じるしか生きられない動物です。
 因みに色とは世の中の目にし手に触れることのできる全ての物のことです。

 我々凡人は色にこだわり、色によって喜楽を増幅させたいと念じる動物ですから、そこから逃れられないからこそ、余計に人生という空間を意識しておかなければいけないでしょう。
 世の中は平等であると言われていますが、それは法の本に平等に生きる権利を与えられているというだけで、決して平等な立場で生まれ、生きているわけではありません。
 私の様に貧しい家庭で生まれ育ち、中学しか行けなかった人もいますし、もっと悲惨な家庭で育った人もいます。   それに反して生まれながらにして社長を約束された人もいます。
世の中は決して平等ではありませんが一つだけ全く平等なものがあります。それは時間です。
 時間だけは分け隔てなく平等に与えられていますので、その時間を如何に自身の為に有効に使うかということで人生の中身が左右されます。

 神様は人生という空間を本当によく設定してくれています。貧しい家に生まれ、それほど成功も出来なかった。それでは幸せになれないかと言いますと、そんなことはありません。
 時間を大切に思い、有効に使った人は、たとえ財力や地位や名誉は他者を越えられなかったとしても、人生を振り返った時に十分に自分をほめてやりたい人生だったと、逝く時には満足のいく人生にしてくれます。

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