忘れえぬ感動


私は小学校の4年生まで泉北郡高石町で育ちました。南海本線の高石です。
今は埋め立てられて工業地帯に変貌していますが、26号線沿いに大きな墓がありまして、その墓を抜けると直ぐに海でした。隣接する松林の綺麗な浜寺公園には進駐軍居留地がありました。
 水は透き通っていて綺麗で何処ででも泳げました。
浜辺には煮干しにするための小屋があり、小鰯を荷揚げしているのを手伝いますと、シャツの裾をくくってその中に一杯の鰯を入れてくれました。持って帰ると親は大変喜んでくれました。
あさりなんかはいくらでも取れました。胸までつかって足で砂を掘って貝をさがします。貝らしい感触の物が出てきます。親指と人さし指で挟んで落とさないようにソット膝のところまで上げて来て掴みます。おおあさりです。焼いて醤油を落として食べると美味しいのです。

南海本線の山手の方向は、あの葛の葉の狐伝説で有名な信太の森が何の妨げも無く見える、一面緑の田んぼと畑でした。
 小川がたくさんあり、小川ではしじみがいくらでも取れ、どじょうやフナやウナギまでいて遊ぶ材料に事欠きません。
トンボはおにやんまを求めて歩き、川の真ん中の浮草に止まって尾で水をつついていると、網が届かなければ川の中にジャンピングをしてつかまえました。どの川も水は綺麗で水浴びが出来ましたので川に服のまま飛び込んでも平気でした。
 いま気が付いたのですが尼崎に引っ越してきて、汚い池や小川でザリガニを見るようになりましたが、高石では川遊びを頻繁にしましたがザリガニはみませんでした、ザリガニは水の綺麗な所にはいないのではないでしょうか。

 お正月以外は小遣いなんか貰ったことがありませんでしたが、なんのひもじい思いをしたこともありません。勉強もしたことがなく日が沈むまで遊んでいました。

 当時の高石は田舎で学校では金持ちの幾人かだけは運動靴を履いていましたがその他は下駄です。
下駄は古くなるとよく鼻緒が切れました。鼻緒が切れても全て自分たちで挿げ替えました。
布切れがなけれが麻の紐や藁でその場をしのぎました。
ズボンは小倉の半ズボンか長ズボンです。お尻と膝には破れて大きな当て布がしてありました。
今の子供は贅沢ですからそんなズボンでは恥ずかしいと言って泣いてしまうでしょう。
恥ずかしいなんて思ったこともないし買って欲しいとねだったこともありません。
そんな生活でしたがお正月の元日に目を覚ますと、枕元に下着から服や下駄まで全て新しいものが用意されていました。その嬉しかった感動は今でも鮮明に蘇ってきます。大きな感動です。
普段は始末していても新しい年を迎えれば心も体も改まって新年度に向かって邁進をして行く。
新調品はその為の儀式ですね。

 そういうメリハリのある生活と、そういう生活から得られる感動の大きさ。その思い出は大きな心の財産ですね。
 現在は経済に翻弄されていますが、お金に執着しても大きなお金を得れる人はほんの一握りです。もっと感動を得られる生活を目指さなければいけないのではないでしょうか。
そしてお金を使わなくても身近なところで遊べる環境作りが大切ではないでしょうか。

HP http://kitukemeijin.jp