お稽古事は技と心を磨く場

お稽古に来られても簡単に辞めて行かれる人が多いと前回記述しました。
着付に限らず様々なお稽古事や教養講座に多くの人が関わっておられますが、きちっと身につけて辞めて行かれた人は恐らくごく少数だと思います。
 直ぐに辞めて行く人は自分が駄目な人だと思われたくないから,色々と自己弁護して様々に繕って辞めていかれます。ですがいくら繕ってもそいう人は人生哲学に真正面から向き合おうとする気持ちが希薄である人が多いのです。

 何のためにお稽古をするのか。当面の目的は作ってもらったきものがあるから着れるようになりたいと思っているからです。
 それは皆さん同じで分かっていますが、そういう気持ちだけで上達できるのかが問題なのです。
着付けも一通りのきものを上手に、あるいは人前に出て行っても恥ずかしくない程度まで身につけようと思いますと簡単ではありません。
 あるきもの学院では道具を使えば簡単に着れますよいって、道具を使用していますが、どんな道具を使っても使いこなす腕がなければ同じなのです。道具が重要なのでなく重要なのは腕前なのです。
 何処のお稽古場でも週に一回で2時間程度のお稽古です。その上にお稽古される人は家に帰って復習してくる人は稀です。そんなお稽古で半年や一年で一人前になれるような簡単なものは何一つありません。
 どんなものでも簡単でない、それ相応の努力や苦労が伴うのが道理なのですが、不思議に着付けの場合は何を大仰な「着付けぐらいその気になれば直ぐに出来るわ」と安易に考えて取り組まれます。
 しかし現実はなかなか思うような成果が上がりません。その内に「そんなに着る機会もないし、着付けが出来なくても生活になんの支障もないしね」ということで辞めていかれます。
 「出来なくても生活に何の支障も無いしね」という考えだったら、生業である仕事以外は全てどうでもいいことになってしまいます。
 前回の「お茶会に行くお二人」のように、無くても生活に何の支障もないものが一つでも多く身に備わっている方が人生を豊かにしてくれます。
 食べて行くにはお金が必要ですが、人生を豊かにするためには心の栄養が大切です。
お金を使うだけでは多くの栄養素は取得できません。ヘルシーな栄養素を取得するには教養が大切だとい人生哲学が理解できていないと何をやっても続きません。

おすすめHP「着付け名人」入力して検索