震災の思い出


 年迎え 開運よりも 無事祈り

 大阪で開校したきもの学院を女房に譲渡し、別居を始めて新たに甲子園できもの教室を始めました。
 お金を一銭も貰わずに出ましたので裸一貫からの再出発です。
テナントを借りて常設の教室を持つということができませんので、今日はここで明日はあちらの教室でという時間貸しの場所を借りて始めました。
 時間貸しの教室は常設の教室よりも経費が掛るのですがお金の無い者には仕方がありません。
 そういう形で始めて、なんとかお金を貯めて甲子園筋に常設の教室を設けました。
 平成11年の12月からの入居契約です。12月になって来年度から新教室でお稽古が出来るように畳を引いて内装も整え正月を迎えました。
 新年会を終え、忙しい成人式も終わって、「さぁー今週から頑張るぞ」と張り切っていた矢先の震災でした。

 多くの人が亡くなられました。そういう人達と比べれば家財道具が少し壊れた程度の被害で済んでいますので、贅沢はいえませんが、状況が状況だけにこたえました。
 翌日に生徒さんの家を自転車で神戸や芦屋、苦楽園まで尋ねましたが、中にはお母さんが亡くなった方もおられて、慰めの言葉もありませんでした。
芦屋や苦楽園の大きな家に住んでおられる方は家は無事のようでしたが、どこかに非難されて連絡がつきませんでした。
 そんな状況でしたがその週は休んで翌週からお稽古を始めましたが、来られたのは3人だけでした。
教室開校にお金を使い果たし、生活は月々に入って来る収入でやって行くつもりでしたのでまいりました。
 急遽つなぎの融資をしてもらいなんとか生活は維持して行くことができました。

 元の状態に戻るのには3年かかりました。その間は耐えて忍んで頑張りましたが、追い討ちの災難がやって来ました。
 借りていたビルが私達が入る前に抵当に入っていたのです。本来は入居の時に説明をしなければいけないのですが家主が不動産やだったものですから隠して説明しなかったのです。
 友達に弁護士がいますので相談をしたのですが、法律的には勝てないということでした。
新しい家主から引き渡しを通告され、結果的には新規に契約を交わすという事でその場で営業は出来る事にはなったのですが、返ってこない敷金と新規の敷金で500万円ほど必要になりました。
 お金のない私には大変な苦難でした。私は私なりに震災で苦労をしましたがお亡くなりに成られた方には改めてお悔み申し上げます。