愛の大切さ


誰もが結婚した当時は好きで一緒になり、一緒にいるだけで楽しかったのです。
それがいつの間にか一緒にいても楽しくなくなり、何も感じなくなってしまいます。
それはまだいいほうで、楽しみどころか嫌になってしまう人も少なくありません。
その確率は圧倒的に女性の方が多いのです。
 表に出さないだけで心の奥に仕舞っているのですが、その心の奥を覗けば、明日から経済的に困らなければ直ぐにでも別れたいという気持ちの女性は沢山います。
 一般論ですが女性は農耕民族的で、家庭という田を大切に耕し、実りの大きいものにしていこうという気概が強いのです。
ところが男性は家庭内よりも外を見つめているところがあって、家庭を省みらない人が多いのです。
男性側の言葉に「釣った魚に餌をやらない」と言われていますが、それはそういうことを象徴しています。
 男に甲斐性がないから妻も正規、パートなどで共稼ぎをしている家庭も少なくありません。
妻は仕事が終わってからスーパーに行って買い物をして夕食の支度をします。
そういう苦労に対して感謝の気持ちもなく、帰ってきたら「おい飯」と言って食べる。
食べても「美味しいかった」の一言もない。
妻は後片付けや洗濯と忙しく働いているのに、夫はそうすることが当たり前のように自分はテレビを見ている。
そんな生活が続けばそのうちに顔を見るのも嫌となるのも当然やわね。
なぜそんな生活をしてしまうのか。愛の大切さを忘れてしまっているからですね。
 歳をとれば子供は巣立っていって夫婦だけが残されます。
終わりよければ全て良しで、年老いてから如何に仲良く寄り添って生きていくかが大切です。
 よく妻に苦労をかけたので定年になって時間が取れたら、温泉旅行にも連れて行ってやりたいと思っているなどという言葉を聞きます。
そういう考えの人は何も分かっていないのです。その時になって夫がそう言っても、もうすっかり冷えきった夫婦関係では妻は迷惑なだけで嬉しくないのです。夫と行くよりも気のあった友だちと行くほうがよほど楽しいのです。
 愛は必ず慣れと飽きと忘れるという、人間誰もが有する本能でその内に冷めます。
必ず冷めますが冷めれば風呂の湯の如く、感謝や思い遣りという追焚きを若いときからしておかなければいけないのです。
それを怠るということは、若いときよりも年老いてから愛が重要になるということを分かっていないからです。