色即是空


般若心経には舎利子色不異空空不異色(しゃりししきふいくくふいしき)
色即是空空即是色受想行識亦復如是(しきそくぜくうくうそくぜしきやくぶにょぜ)という一説があります。
舎利子よ色は空と異ならない、空は色と異ならない 空は色そのものである、空は色そのものである
受想行識もまた色と同じく空であるとあります。
この世のあらゆる物質(色)は空である。空は物質にほかならない。物質がすなわち空であり、空はすなわち物質である。
感受、表象、意思、認識という精神的な働きも空であると説いています。
これを読むと空に対する理解が難解です。色の存在を説いていますので空はなにもない、からっぽということではありません。
空はこだわるなということです。
 色の世界は確かに存在し、色の世界にこそ真実が存在する。そういう真理を理解した上で、それでもこだわるなと教えています。確かに色も精神世界も存在はしている。けれども全くこだわらなければ、存在していてもないのと同じです。だから空なのだと、私は独学でそう解釈しています。
人間も宇宙を構成している一つの物質です。
宇宙という太極的見地からすれば、人間の命は朝露のごとく瞬時に消え去っていく存在です。
そういう儚いものにこだわるなということではないでしょうか。
お金が欲しい、出世がしたい、人から注目されたい、病気になりたくない、死にたくない長生きがしたい、等々人は様々な事柄にこだわることによって苦を背負ってしまいます。
何ものにもこだわらなければ確かに静安に生きていけるとおもいます。
それはすばらしい教えで、その教えはなんとか理解できますが、仏門に入った僧侶でも、何事にもこだわらないということはできないのに、私たち凡人に出来る筈がありません。
できませんが、こだわらないことが理想だ、こだわることによって自分が苦しむんだという真理を知っていれば、自身を制御しやすくなります。
私は鬱病になりかけたことがあります。精神安定剤睡眠薬の服用が続きました。
この時に独学でほんの少しだけですが仏教の勉強をしました。そこでこだわることから苦が生じることを知りました。
そこでこんな薬の服用を続けていれば廃人になる。

人間は必ず死ぬんだから前向きに生きて、それでダメなら死んだらええやん。そう考えて残っている薬を川に捨て、病気や環境のことにこだわらないことにつとめました。それで気持ちが楽になり助かったという経験があります。
こだわるなという教えに触れていなければどんどん深みにはまって行っていたと思います。