人生は登り坂(No24)

私達の中学生時代は第二次産業が一番華やかな時代で、その中でも一に八幡、二に富士、三に住友、四に神戸製鋼、五に川鉄とランクされていることだけは知っていましたので、就職担当の先生が神戸製鋼を勧めてくれましたので受験しました。
 英語は100点で、あんなに心配していた国語と社会は70点台で理科も90点台で、自信のあった数学は何故か振るわず60点台でした。何故私は自分の試験の点数を知っているかといいますと、入社してから人事部に呼び出されて試験の点数を見せられ、数学が悪いので数学をもっと勉強するようにと注意を受けたからです。
 高度成長期は本当に良い時代でした。企業は人材育成に力を注ぎ、入社してから勉強をさせてくれました。
私達も養成工という立場で3年間高校並みに勉強させてくれました。
平日は3時頃まで毎日勉強です。授業が終わると仮の配属職場が決められていましたので、その職場に行って定時の5時まで仕事を手伝います。
土曜日は授業は午前中で午後から職場です。一般学生は午後からは授業もないので自由ですが、私たちは5時の定時までは仕事ですから、一般学生とは逆に土曜日は嫌いでした
 3年生の時は工場見学という名目で修学旅行にも連れて行ってくれました。
勿論費用は不要でした。。
養成工の3年間が終わり配属が正式に決まりました。
 炉を炊いて鉄を熱して冷却して、鉄の組織を用途に相応しい組織にするという仕事場で、炉を炊いていますので、年中火は消せませんので3交代で勤める職場でした。
 日曜日は炉の火を絶やさないように、炉の火を炊く者だけが志願で出勤して後は休みです。
明けの月曜日から一勤は朝の6時〜午後の2時まで、二勤は午後の2時〜9時迄、三勤は午後の9時〜朝の6時までというように一週間ごとに交代します。
 若いので遊びたい盛りです。遊ぶには三交代は非常に中途半端なのです。
一勤はいいのですが、二と三勤はデイトをしていても時間に限りがあって、彼女も働いていますと二勤の場合は全く会えないのです。そんなことで次第に仕事が嫌で嫌で仕方がないようになっていきました。