昔の手打ちパチンコ(人生の思い出No7の附則その一)


当時の阪神出屋敷の駅前は阪神工業地帯で工員さんや職人さんが多くて、繁栄していました。
駅前には駅を降りて直ぐにパチンコ屋がありました。
当時のパチンコ屋はパチンコ台の裏側には出玉を継ぎ足す為に女性が中に入っていました。
「おねーちゃん玉が出へん」とおがっているおっさんも多数いました。
パチンコの釘は先に行くほど末広がりに少し広がっています。台の上の方が少し手前に傾いてガラス寄りに玉が落ちる方が玉が釘に引っかからないで入りやすいのです。
昔の台は出玉を上の方に積んでいました。出玉を沢山積むと重たくなって、台の上の方が裏側に傾いて客からすれば不利な傾斜に成ります。
そこで「ねーちゃん上の玉を下ろせ」などという客もいました。それが頻繁になると裏に入っている姉さん方が忙しくなるので、姉さん方も負けてなくて「うるさいねー今下したやないの」などとやりあっていました。
その当時は玉一個づつを手で入れて打つ手打ちです。
掌に沢山の玉を乗せて親指で一個づつはじくようにして玉を入れて打つ人もいましたが、そういう玉の入れ方が出来ない人もいました。いずれも手打ちですから、玉を落とすことも多いのです。店内には結構玉が落ちています。その玉を拾って集めます。いくつか集めますと景品に換えれます。
タバコですと親から換えて来いと言われたと言えば言い訳が立ちますので、景品は必ず煙草に換えました。それを持って帰って親父に上げますと親父はニコニコして嬉しそうでした。
親父が喜んでくれるものですからよくパチンコ屋にいきました。
これも自分が親になってから思ったことですが、親というものは子供の教育のことを考えれば武士は食わねど爪楊枝、「そんなさもしいことはしてはいけない」と言わなければいけないのではないでしょうか。私の親父はパチンコ屋で玉を拾って換えてきたと分かっていても喜んでいました。こんな親だったこそ様々に社会勉強ができました。今となっては全て良い思い出です。