襟合わせ


小袖が衣服の中心になった桃山時代には正式には白の小袖、色の小袖、柄物の小袖と三枚重ねていました。
その着装方は写真に見られるように一枚づつ前合わせをして着装していました。
平和な時代が続きますと優美に成ってくるのは世の習いで、元禄頃になりますと丈が長くなって屋内では裾を引いて着装するようになります。
寛延年間(1748年〜)になりますと更に丈が長くなったと文献にあります。
丈が長くなって裾を引くようになりますと着物を保護することと、裾さばきがしやすいように裾にふき綿がいれられるようになります。
裾が長く成って引きずって着装するようになりますと、一枚づつ別々に打ち合わせをして着装しますと足にからまって裾さばきがしにくくなりますので、写真に見られるように下着と表着を合わせて一緒に打ち合わせをするように着装方に変わってきます。
安永(1722年〜)天明(1781年〜)には二つ襟、三つ襟と重ねてきるようになったとあります。
裾を引いて着装するようになりますと反物の長さが長くなり、切ってしまっては勿体ないので長く仕立てるようになり、おはし折をして着装するように変わってきます。
反物の幅も裾引きの時代になりますと現在とほぼ同じような幅になり、身幅も狭く仕立てられるようになります。
身幅が狭くなると立膝で座りますと前がはだけて見苦しくなりますので座礼は正座が一般的になります。