下着重ね


礼装は男女共に下着を重ねて着装します。
重ね着のルーツは十二単に起因します。小袖が衣服の中心になるのは安土桃山時代です。
当時の正式な着装は十二単の着装に倣って、一番下には肌着用の白の小袖を着て、中には十二単の五衣に倣って色物の小袖を着て、一番上には十二単の表着(うわぎ)のように柄物の小袖を着装しました。
写真は打掛を着装しています。打掛は盛装ですから小袖も正式に白、色、柄物と三枚重ねて着ているのが分かると思います。
当時はまだ襦袢がありませんので白の小袖を肌着として着装していたのです。
襦袢が用いられるようになったのは元禄期頃からで、襦袢が着用されるようになってからも、肌着として用いてきた白小袖は省かれることなく、その白の小袖の下に襦袢を着用するようになりました。したがって江戸時代には高貴な人は下着を二領三領(りょう)重ねて着ていました。
 それが時代の推移と共に簡略化が進み、昔は普段着でも富裕な人は重ね着をしていたのですが、現在は留袖に見られるように礼装の時だけ下着を重ねて着るようになりました。
 衣更えは昔は更衣(こうい)と言い、公家社会では4月には夏物に、10月には夏物から冬物に衣服だけでなく家具調度品全てを更衣していました。公家社会の習慣がルーツとなって衣更えの習慣が広がっていったのですが、公家社会の更衣に見られるように礼服は薄物(うすもの)と袷しかありません。
そこで今で言う単の時期は袷を着て、下に着る下着を着ないようにして調整をして着装していました。
 中振袖には下着がついていません。そのために着装するときには重ね襟を付けて着装します。
あれは襟元を華美に装飾するためのものでなく、下着の襟だけをさも下着を着ているように見せるために重ねているのです。
下着は昔は季節によって重ねたり重ねなかったりしたものですから、。4月になれば本当は重ね襟はしない方がいいのですが、そういうことをご存じでない方は、華やかになりますからどうしても重ね襟を付けてほしいという人も少なくありません。
 留袖も6月9月に着る場合は下着は重ねない方がいいのですが、最近は殆ど比翼仕立になって、表着にくっ付けられていますのでそういう調節ができません。
きものの決まりに付いてご存じでない人が増えてきている現象ですね。