朝のジョギング


年老いて来ましたので体が動かなくなっています。それで無理のない程度にゆっくりとしたペースでジョギングをしています。
NHKのラジオ放送を聞きながら走っているのですが、今日は八代亜紀がレビューして40年の記念の年だそうで対談が放送されていました。
 八代亜紀は絵の方がキャリアは古いそうです。「歌と絵と両立させるのは大変でしょうね」そんなに頑張れるのは何故ですかという問いに「褒められるからうれしくて頑張ってしまいます」と答えておられました。
 歌は最も売れている時に機械的に動かされて歌うことが嫌になった時期もあったという事ですが、いまは歌も絵も楽しくて仕方がないと言われていました。
 絵の個展を開くと大勢の人が来てくれて「まぁ素敵。見れて嬉しい今日は癒された」と言ってくれているのを見ると自分もうれしい。
 今日はコンサートがあるのを心待ちにしてくれていて、杖をついて見に来てくれて「よかった元気をもらった」と喜んで帰って行かれるのを見ていると、自分も元気を貰って頑張れると言っておられます。
 自分のやっていることが人を喜ばせ少しでも役に立っていることが実感できれば、自分も嬉しくなっていくらでも頑張れる。そういう喜びを理解し実感したことが皆様ありますか。
 人は自己の人生の充実を目的に生きていますが、その充実は八代亜紀さんの言葉の中にあります。自分自分と自分の事ばかりを考えている間は大きな喜びは得られません。人が喜び人の役に立つ働きが出来た時に物凄く大きな充実感が得られます。
 海外派遣隊員のように薄給でも充実して働いている人もいますが、一般的には大きく充実した生き方が出来ている人のところにお金も流れます。
 そういう人生の数式を知っていれば若者達がもっと頑張れるのでなないかと思います。
 しかしこの人生の数式は経験をしなければ理解できないところがあって、親たちも経験がないので若者達に教えられない人もいるというのが現状です。
 こういうことは説くというよりも親が自らの背中で教えるというのが普通ですが、誰もがそういう生き方が出来るわけではありません。運命的なことがあってそういう生き方が出来なくても理屈だけは知っておくことは大切です。