無縁社会


秋バラ 大阪西区靭公園にて

 10月30日に放送されたNHK日本のこれからの「無縁社会」を考えるというトーク番組をご覧になられた方も多いのではないかと思います。
 孤独死をされた人が今年に入って470人で無縁仏になられる方が毎年3万人以上いるという事でした。
 私も今年で68歳になりますが二人いる娘とのつながりが途絶えています。
幸い私は縁があって結婚をしましたが、もし妻と知り会わなければ他人ごとではなくなっていたわけです。愛しい娘達との交流がないことはさびしいです。辛いですね。何故そういうことになってしまうのでしょうかね。
 一つは経済問題ですね。仕事が順調でお金にも不自由をしない時は、独りでいても縁を作りやすいのですが、蓄えは乏しい上に収入は無いとなると、どうしても外に出向くことが少なくなって人との触れ合いがなくなる。また自身で自信喪失に陥って人との交わりが嫌になってきたりします。
 経済的に困窮してくると、子供たちの立場からすれば親と関わらなくても生活に何の支障もないし、経済面においても煩わしさがなくなるので、親との交わりを断ってしまう子供たちも増えてきています。
 血縁というものに何の価値観も感じないで、血縁を断ち切ることが出来る人が増えているのです。そうでなければ孤独死や無縁仏が増えるはずがありません。自分の親であってもお骨を届けられるのは迷惑で、受け取りを拒否する人が少なくないというのです。

 今のままでは益々この傾向は増幅して行くとおもいます。
昔はよかった家族の絆がもっと強く思い遣りもあったという人もいますが、それは社会全体の概念が親を大切にしなければいけない。親不孝なものは世間の笑いものになるという社会通念が蔓延していたから、そうすることが当たり前で、そうしなければ自分が恥をかくという社会通念が生きていたからです。
 今は一番にお金で、お金さえあれば幸せになれるという概念が定着し、自己主張が強くなって愛情の大切さにたいする概念が薄れて来ているのです。一番大切なのは愛なのですが一番大切なのは愛であるという事を誰にも教えられずに、子供たちは大人のお金にまつわる醜い闘争ばかりを見て育って来ているからです。
 こういう寂しく辛い状況を解除するにはもう一度親孝行をしない人は恥ずかしくて世間にまともに顔向けができないという修身教育を復活する以外にないのではないでしょうか。
愛なしにシステムが作動しないし、システムだけを、即ち介護システムをいくら整備したとしても、こういう状況を救えることはありません。