苦労は買ってでも


駄目で元々と考えて私は時代衣裳の着付専門学校を大阪で開校しました。
 一年目は思ったよりも経営的に好調でしたが、二年目になって残った生徒は3人だけで、それからというものは大変苦労しました。 
 先ず一つの苦労は生活費と運営費をどう捻出するかという経済的困難です。それだけでなく私にはもう一つの大きな問題がありました。
 私はただ着付けが出来るというだけで始めた学院ですから何の理念もありません。また理念を掲げる理性も持ち合わせていませんでした。
 人様に教える仕事ですから、生徒の皆さんは私を先生と呼んでくれます。
呼ばれた私は先生と呼ばれることで生業としていますので、実際は先生と呼ばれる度に穴があったらそこに逃げ込みたい気持ちでしたが、グッート踏ん張って平静を装って「はい」と答えていました。
 昔の知り合いに会いましたも、今は学院の経営者になっている立場ですから皆は先生と呼んでくれました。決して冷やかしで言っているわけではないのですが、照れ臭くて仕方が無いので「その先生と呼ぶのはやめてくれ」と頼んでいました。
 自分は人様から先生と呼ばれるに相応しい人材ではないとことを自覚していました。だからこそばく照れ臭かったのです。これを解決するには勉強して教養を高めると共に、人間性を高める以外に方策はありません。3年目くらいから懸命に勉強をしました。
 
 一つは専門的な着物の知識を広める勉強です。もうひとつは人生哲学です。
 生徒の皆さんはわざわざ貴重なお金と時間を使ってお稽古に来られます。何のためにお稽古をするのか。
「皆には綺麗に着れるようにしましょうね」と激励をしますが何のために綺麗に着る必要があるのか。
お金を何のために使うのか。何のために勉強をするのか。学校の成績は何で決まるのかなど、様々な事をこれ以外に答えはないというところまで考え抜きました。
 
 十年ひと昔とか「お前にはまだ十年早い」などとよく言いますが、懸命に勉強して頑張っても一人前になるのは最低10年はどんなものでも掛かりますね。
 それくらい経ったころに確固たる理念と信条が持てるようになり、先生と呼ばれてもこそばく感じることがなくなりました。
 以前にも記しましたが死に物狂いで頑張れば大抵のものは何とか形になってくるものです。
 若者達よ頑張って下さい。頑張って他に与えるものが大きいほど、自分も得るものが大きく人生の充実につながります。その図式は不変の図式であることを分かる人になって下さい。