生き甲斐


                 萌黄たつ 生の息吹に 浮き立ちて

 人間には「忘れる」「慣れる」「飽きる」という本能が備わっています。
その本能は恋や愛にだけは作用しないでほしいのですが、分け隔てなく作用してきます。
そのためにどんなに大恋愛で結ばれても、別に嫌いになるというわけでは有りませんが、一緒にいてもそれだけで楽しいという「ときめき」はなくなっていきます。
五十路を過ぎて連れ合いと一緒にいることが楽しい生き甲斐だという夫婦を、私は未だ嘗てみたことがありません。

 人間は生きて行くには食べなければいけません。食べるためにはお金が必要です。お金は絶対に必要ですが、充実した生き方をするにはお金だけではどうすることもできません。
 お金が潤沢にあれば様々な事を手掛けられます。あらゆるものを手掛けた結果として生きがいにつながるものを見つけやすいという、条件面でお金は力を発揮しますが、逆にお金が無くても的を絞って取り組めば、そのものを生き甲斐につなげる事は可能です。生き甲斐を見つけるにはお金が潤沢でなければいけないという事はありません。
 何でもお金が物を言うという考えの人も少なくありませんが、物事の考え方と取り組み次第でお金が潤沢に無くても生き甲斐を見つけることは可能です。そのことをよく知っておくことが大切です。

人間が生きて行くには生き甲斐というものが絶対に必要です。
愛し合って一緒になった当時は、一緒に生活することが生き甲斐であったものが本能によってそのうちに生き甲斐でなくなってきます。
無くなってくればそれに代わるものが必要です。それに代わるものは教養しかないのですが、それが分からないものですから、身近で一番愛している子供に目を向けて、子供を育成していく中で自分の生き甲斐を見つけようとします。そうなれば亭主はそっちのけで子供に愛情を注ぎ一生懸命になります。
 立派な子供に育てるという事は社会に貢献できる子供に育てるということが一つの大きな目標であります。
そういう子供に育てるには愛情を注いでお金を掛ければ育つというものではありません。
 仮に親が経営者でお金持ちだとします。そういう力のある人は女房以外に外で女を作っているケースが非常に多いです。そうすると家庭内では険悪な空気が漂っています。そういう雰囲気を察知した子供は落ち着いて勉強なんか出来ません。
そういう風に子供の育成には様々な要因が絡まって結果が表出します。愛情とお金を注げば必ず良い答えが出てくるというものではありません。
逆に愛情を注ぎすぎて子供を軟弱にしてしまうケースの方が多いようにおもいます。

 子供は可愛い存在ですから愛情を注いだらよいと思いますが、子供に期待をし親の生き甲斐にすれば子供に負担を掛けてしまって良い結果は生まれないでしょう。
子供の教育には、このように育てれば必ずこういう結果が出るというマニアルはありません。
 子供を溺愛するよりも子供に自主性を持たせるために、親自身が良い人生を歩む努力をすることの方が大切です。
 親は子供の事は何でも分かっていますが、逆に子供も親の生き様をよく知っています。親が他力で生きているのに子供にだけ確りせいと言っても無理ですね。

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