本能の自覚


   日を透かし 萌黄る紅葉 水に映え


人間には「慣れる」「飽きる」「忘れる」という本能が備わっています。
この本能が無ければ私達は生きていけないでしょうね。
若い時には何回か真剣に好きになり何回か振られました。
振られた時は明日から何を楽しみに、何を生きがいにすればよいのかと気が滅入って本当に悲しく辛い日が続きます。
振られたことを苦にして自殺する人も稀にいますが、その気持ちはよく分かります。
そんな滅入った気持ちがずーと続けば確実に鬱病になってしまいます。
しかしそれも時が過ぎれば次第に薄れて来て、そのうちには普通に戻ります。本能が浄化してくれるのですね。

 この人と一緒になりたい。一緒になれなければ死んだ方がましだと惚れて惚れ抜いて結婚した相手でも三年経てば慣れて七年経てば飽きると言われているように、七年も経てば一緒にいても恋心なんか無くなりときめかなくなります。愛にだけは本能が作用しないでほしいのですがそうはいかなくて、先の話とは逆に本能がいたずらをするのですね。
 よく「貴方は薄情な人だ」などと言い合いをしますが、恋心が有る間はそんな喧嘩はしません。それは恋心が無くなってからおきることで、それは薄情云々というよりも本能がそうさせてしまうのですから仕方がないのです。

 人はときめきがあれば充実した時を過ごせますので何時もときめきを求めています。そのときめきが家庭内で無くなってしまうから、巡り合いの機会の多い男性は浮気をしてしまうのですね。
 同じ殺人を犯しても事情によっては情状酌量で刑が随分異なるのと同じで、浮気をした男性は悪いけれども、早くに飽きさせてしまうような振る舞いをする女性にも多少の罪はありますね。

 私達阪神間に住む者は淡路阪神大震災で悲しく辛い思いを強いられました。肉親を亡くした人も沢山おられます。
肉親を亡くすなんてことはどんなに悲しくて辛いことでしょうか。その悲しみと苦しみは計り知れない凄い出来事ですが、そんなに大きな悲しみであっても時と言う薬によって普通に生活が出来るように回復させてくれます。

 様々な出来事があって人生は喜怒哀楽を繰り返します。怒哀ばかりが続く人生は無いし、喜楽ばかりの人生もありません。
必ず交互に押し寄せてきますので、怒哀の振幅と伸長は出来るだけ小さく短く、喜楽の振幅と伸長は大きくと人は希望します。しかし希望する通りには行かないのが人生ではありますが、一つ確かに言えることがあります。
前向きに生きていれば必ず喜楽は訪る。そしてどんなに悲しく辛いことが生じても時間と言う薬が癒してくれるということです。

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