太閤も めでた紅葉や 瑞宝寺

 バスは裏六甲を下って行く。有馬の街を見下ろす麓に近い所に瑞宝寺前のバス停がある。バス停の直ぐ目の前に階段があり、そこを10m程上がると民家があり、その民家の空き地に大きな古木の紅葉の木が二本あり、今が盛りと赤く燃えた姿を見せてくれる。
 しばし立ち止まってカメラのシャッターを切る。
そこを左に曲がって坂道を少し行くと、その一角だけが赤く燃え上がって私たちを迎えてくれる所がある。そこが瑞宝寺だ。
 極楽浄土は花で彩られていると聞いているが、その極楽浄土に招かれたごとくあまりの美しさに呆然となってします。
 紅葉は黄色、オレンジ、紅色に姿を変え折り重なるように色を重ねて輝いている。
 その色はただ絵具で色を重ねた色彩ではなく、先のない命を燃やして最後の務めを果たしいる生きた色だから私たちの心を捉えて離さないのだ。
 あまりに艶やかだから彼女達にしよう。彼女達はもうすぐに散り絶える。
しかし来年もまた元気に芽吹き私たちの人生と同じように一生を演じる。
 私たちは一度きりだがその生き様は同じだ。
宇宙という大極からすれば人間も木々も宇宙を構成している一つの要素にすぎない。
 同じものであるならば自分も最後は紅葉や桜の如く、最後を華麗に輝かせて死にたいものだ。
 そのためには深く緑に彩られている間に輝きの為の蓄積を怠ってはいけない。六十代はまだまだヒヨコだからもう一頑張りしなくては。