人世は登り坂No20

 私が尼崎の小学校に入学してカルチャーショックを起こしたことの一つは履物です。
高石ではよほど金持ちのボンでないと運動靴は履いていませんでした。みんな下駄です。
走るときは素足で走っていました、それが尼崎にきますとみんな運動靴です。これには驚きました。
当初私だけが下駄でした。
 野球部に合格して入部できたことを親父に話ました。親父も野球というものは知りませんので特別に褒めてもくれなかったのですが、父には最低グローブとバットと運動靴は必要であることを話しました。
 今では出屋敷から三和市場に行く阪神電車沿いは高架になってきれいになっていますが、私が子供の頃は阪神電車沿いは小さなバラックの店舗が三和市場の入り口まで連なっていました。
バラックの店舗には何軒か古道具を売っている店がありました。その古道具屋まで親父に連れて行かれました。
 親父はそこに中古のグローブが置いてあることを調べておいて私を連れて行ったのです。
古いグローブが一つだけその店においてありました。
一つしかないのですから嫌もおうもありません。
グローブとこれも中古の運動靴が一足ありました。運動靴もいかにも古そうですが、それでも無いよりもましですから買ってもらいました。
 グローブを手にしてうれしくてさっそく指を入れてグローブをはめますと、中は破れていて指が各指の中にうまく入りません。なんとか掻き分けて指を入れますと、玉を受ける部分が表の皮が一枚だけの状態になっていて、ボールが手の平に直接当たる感じでいたいのです。運動靴は裏がすり減っていて裏のゴムが薄くなって10円球ぐらいの大きさでゴムが浮いています。
足をいれますと中はぼろぼろで足の裏にあたって気持ち悪いのです。
 この靴は雨の日に履きますと水が中に入ってきて足がびしょびしょに濡れてしまいます。
そして10円玉くらいの大きさに浮いていた個所は直ぐに破れてしまいました。
裏は人には見られませんのでそのまま完全に上が破れて履けなくなるまで履いていました。
私達の子供の頃は運動靴の親指の指先が破れている靴を履いている者を時々みかけました。
親父から物を買ってもらったのは生まれて初めてでそれが最後でした。