人生の思い出1No1


母親というものは同じ自分がお腹を痛めた可愛い子供であっても、男の子の方が気になるようです。
私には二人妹がいます。単純なことですがおかずは妹たちよりも多く配してくれていました。
妹たちは依怙贔屓だと怒っていました。それほど母は私を可愛がってくれました.
しかい父にはかないません。
働かない父で稼ぎがないくせに食膳は私よりもにぎわっていました。
私達の子供の頃は家父長制という封建社会の名残が色濃く残っていた時代ですから、何をするにしても父が一番です。勿論食事もそうでした。
ちゃぶ台の一番上座に座り、父の「頂ます」の声で食事が始まります。
お腹が空いていても父よりも早くに食事に手を付けることは許されませんでした。
ちゃぶ台ですから勿論正座です。食事の間は足を崩すことは許されませんでした。
話をすることは許されず父が一方的に話すだけです。
父が口をついて出てくる言葉は必ず説教です。
叱責されているわけではなくて説教ですから、私の為になることを言ってくれているのですが、父は怖い存在でしたので怒られているようで、今思えば食事の時間が面白かったという思い出はありません。
父が同席していることが憂鬱でしたが、父の許しが出なければ席を外すという事ができませんので、食事の時間は長く嫌な一時でした。
父は明治生まれの鹿児島の出身で、貧しかったけれども祖父は薩摩隼人でしたから、父も厳しく躾けられて育ったからではないでしょうか。