夢の話


昨日は久しぶりに学院で着付を教えている夢を見ました。
 皆さんは着付けができるようにしたいとお稽古にきます。でもそれだけではいけません。折角貴重な時間とお金を掛けて来られるのですから、どの程度できるようになりたいのかという気持ちの整理が大切なのです。
それについて尋ねますと異口同音に「上手に」出来るようにしたいと答えられます。
 言うのは簡単ですがどんなものでも上手という段階になるのは容易ではありません。
何故ならば上手というのは技能だけで言えば先生と遜色のない位置に到達しなければいけないからです。
 だから「着付けぐらいと舐めたらあかんよ」「アドバイスされたことを素直に受け入れて頑張る。自分で口にしたことは最後もまでやり通す」「着付けぐらいと舐めていて、その着付けも出来ない自分は恥ずかしいことだよ」等と言うのが私の仕事でした。

 お稽古をしていて一番大切なことは素直な心です。
どんな偉大な芸術家でも最初は物真似から始まっています。
 教えられるときは先生がどういう動きをして、どういう手の使い方をしているかを素直な気持ちで見つめ、その通りの動きをする人が一番早く上達します。
 しかし着付けの場合はそれができる人が少ないのです。順序だけわかればあとは各自が思い思いの体や手の動きでやってしまうのです。
 順序だけ分かればいいのであればお稽古に来る必要はありません。今はビデオがあるのですから、それを見てやればそれで十分です。
お稽古に来るということは、ビデオでは学びきれない先生の細かい動きを見て真似るために来るのです。しかしそういう理屈が分からない人がいます。私は技能指導もしますが主の仕事はそういうことを説いて分からせることです。色々なことを説いて聞かせますが、それを聞いて素直に聞き入れる人は少数です。
 自我をコントロールできないで表出させます。お稽古に来て自我を出してはマイナスなのですが、今の人は甘やかされて育っていますので自我を自制する訓練ができていない人が多いのです。
 こういう事は着付けのお稽古に限らず何事にも共通する戒めです。
どんなものに取り組んでも自分を真っ白にして、教えられる色に染まることに努める。それが最も上達の早道です。そういう能書きをみんなに説いている夢でした。