移りゆく形

 政治の政は政=祭事という意味で、朝廷における最大の政治は神事にまつわる儀式・儀礼であったわけです。
 宗教の自由を唱えている現在では理解し難いことですが、人間世界を超越した偉大な力を発揮する神々を崇拝し、その最大の司祭者として君臨して人民に対する支配権を強めるという国策上の都合があったわけです。
 人が最高権力者であればその立場に取って代わろうとする者が必ず出てきます。
そうなれば争いは止むことなく続きますので、誰もが犯すことのできない神を頂上に戴くという政策が取られています。
 人類は農耕をはじめます。始めて判然としたことは神々の中で一番偉大なのは太陽であるというこです。そこで日本でも皇祖神として天照大神を戴いたというようにです。
 儀礼・儀式は国策上最高の政ですから、儀式儀礼に臨むにあたっては沐浴をさせて身を清め、衣服も最高のものを着装させたのです。
そういう時に着装する服が礼服です。
 天皇ご自身が臨席される場では最高の装いをする。そうでない場合は少し簡略化させた装いで済ませるというようなことが次第に行われるようになっていき、第一礼装・第二礼装または大礼服・通常礼服というような区別ができ、それに相応しい姿や形も現れるようになります。

 一般庶民でも同じことです。生まれてから死ぬまでに様々な通過儀礼があります。それらは全て祭事です。神事や仏事にまつわる儀礼時には装いを改めて礼装をしました。
それが分かると礼装は感謝と誓いの装いであるということが判然とします。
社会人になれば感謝と思い遣りの心を表現する礼服・礼装は大人としての常識として用意しておかなければいけないのです。儀礼・儀式その一環としての礼装・礼服は人の心を浄化させ豊かな生活に導くための手段の一つとして存在しています。

 神事・仏事にまつわる儀礼の場では、基本的には礼装をすることが相応しい装いなのですが、洋服が普及し生活様式が変わり、キリスト教の洗礼を受けていない者が、ドレスが着たさに教会で結婚式を挙げる。そんなことが何の躊躇も疑問もなく行われるようになってからはT・P・Oの根本精神が損なわれてきています。
 儀礼儀式の根本目的は、感謝と思い遣りの心を通い合わせ人間関係を円滑にするというものですが、文化の多様化によって根本の心が失われてきています。