苦しみを知る

テレビを見ていると有名人の方が苦しむことも大切だと言っておられました。
 私などは小学校の5年生の時からアルバイトをしています。
新聞配達の仕事をさせて欲しいと配達所に頼みに行きました。配達は中学生以上でないとさせられないと言われ配達は断られましたが、販売の方ならさせてやると言ってくれました。
Xの脚に板を乗せてその上に新聞を並べて「朝刊如何ですか」と呼び込みをします。
当時はまだ家庭で新聞の取っている人は少なかったので結構売れました。
それから働きづめに今日まで働いてきました。
 両親を見送りました。離婚もしました。不倫もしました。失恋もしました。
様々な経験しました。勿論自業自得の一言にすぎるものですが、苦しいことも多々ありましたので、お陰で人の心の痛みは良く分かるようになりました。人の心の痛みがよく分かりますから人に優しく親切に接することもできます。
そういう意味では確かに苦しみを知るはこと大切ですが、苦労したからといってそれだけで人の心の痛みを感じて優しくなれるかと言えば、それは違います。
 「衣食足りて礼節を知る」という諺があります。
経済的なゆとりが心のゆとりにつながって礼儀を弁えれる人になるということですが、これも例えば親から引き継いだ財があっても真の礼節を弁えれる人に必ずなれるとは限りません。
自分で財をなす苦労をしてきてはじめて人の痛みが分かるようになります。
またいくら苦労して来て様々な経験を積んで来ても、各々の規模で社会的に成功を納めなければ、欲望が消滅しないで恨みやねたみばかりが心を専有して、人の気持ちを顧みるゆとりができません。
 人それぞれに成功の規模は異なりますが、規模に関係なくそれぞれの立場で納得のできる人生を歩まなければ、苦労するだけでは優しくなれないのです。
 苦労することが大切ですが、苦労することそのものが大切ではなく、苦労によって得れる心のゆとりが大切です。
 有名人はそれが成し遂げれてるからそう言えるのです。
明日の食べることを心配しなければいけない人に高潔な心になれと言っても無理なのと同じです。