子供の頃の食事の思い出

中学の頃の夏休みの昼食はキューリを塩でもんで大きなどんぶりに山盛りにされているのを5人で食べた。普通の家ならウイークディーの昼は親父はいないのが普通だが、私の家は何時も食事の時は親父がいた。
おかずのない時もあった。味噌汁が残っていれば味噌汁をかけて食べた。味噌汁のない時は醤油をかけて食べた。それでもおかいさんでないだけ腹もちは良かった。
 随分と麦ごはんを食べた。麦の割合が多いので温かい時はまだ食べれたが、冷めるとパサパサで食べれなかった。
 ある一時期はタイ米を食べさされた。外米と言っていた。これには閉口した。温かいうちは臭くて食べれません。細長いお米で冷めればこれもパサパサで食べれたものではありません。
白い御飯が食べれないのであればお粥さんが一番ましです。
そのおか粥さんも米を始末するために芋粥にしてよく食べさされました。
最近ではダイエットを考えてホテルなどでも朝は御粥を用意しているところがあります。
芋粥なども珍しくてヘルシーな食べ物として美味しいなどと聞きますが、それを毎日食べさされると甘ったるくて食べれたものではありません。
 芋粥は嫌で粥だけを食べて芋を残して親父にこっぴどくどつかれたことがあります。
御粥に関しては嫌な思い出ばかりですから、ホテルに行っても私は粥には見向きもしません。
あんなものが美味しい好きだという人は幸せに育った人なんだなぁーと羨んでしまいます。

 私の所は母が外に出ていまして、母は家にいれば作ってくれたかもしれませんが、おやつなんか食べたことがありません。
外に遊びに行けば当時は畑や田んぼばかりですから、スイカ、キューリー、トモト、まっか、いちじく、柿などがあり、盗み食いをしようと思えばいくらでも簡単にできましたが、我々餓鬼仲間はそれはしなかったです。
盗み食いはしなかったですが「すかんぽ」など後は忘れましたがよく草を食べました。
そんな生活でしたが飽くことなく飛び遊んでいました。よく回虫の虫をわかしたり、下痢やおできができたり熱を出しましたが病院に行ったことは一度もありません。我慢をしていると自然治癒で治っていました。
 私達の若い時代は総体的に貧しく慎ましい生活をしていましたので、そんなに肥えた人はいませんでした。
 タイトスカートが流行した時代ですがウエストの平均はは56〜58cm位でした。前の下腹部はえぐれていてスマートでした。昨今はダイエットで大金をつぎ込んでいる人も少なくない時代ですが痩せたければ昔のように粗食にすればいいのです。目一杯食べてお金をつぎ込んで苦労をしてダイエットをして、挙句の果てにダイエットでノイローゼにまでになっている。豊かさによる弊害も沢山みられる滑稽な時代です。

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