子供の頃の思い出(1)

現在まで連なって記憶されているのは小学校の4年生位からで、それ以前は断片的に記憶しているが、それがどう繋がってそうなったことかは全く分からない。
 私の子供の頃は総体的に貧しかった。回りの友達の家でも際立って金持ちという友はいなかったので、自分の家は貧乏などとは思いもしなかった。母親が頑張っていたので食べる物が無く、ひもじい思いをしたという経験がなかったからだろう。
少し大きくなるとそれまでに見えなかったことが見えて来て、自分の家は貧乏なんだということを知りました。連なっている自分の記憶の中では、親父の働いている姿は無かったからです。
 
今では中古品を扱うには資格が必要ですが、その頃はそんなものは必要でなく、母は中古品のせり市に行って古着を仕入れて来て、大きな風呂敷に包んで売りに行っていました。
 衣料が不足していて新しいものは高価だったので結構売れたようです。
 オバーコートなどの高価な物を仕入れた時は、それが純毛であるかを確かめるために、裏から糸を引き出してマッチで燃やして、その匂いと糸の縮れ具合いで確かめていたのを覚えています。
 大きな風呂敷包みを背負って行商していましたので、背中に水がたまって、後に分かったのですがそれが化膿してよく咳をしていました。
 親父が食事の支度をして母は遅くまで働いていましたので、夜になると「早く帰ってこないかなぁー」と母が恋しく首を長くして待っていました。
 現在のように車が走っているということもないので、音はよく響きます。遠くの方で母の咳が聞こえてきます。「帰って来た」と叫んで母を迎えにまっ暗闇の中に飛び出していました。
母は懐かしく優しい心の故郷です。

HP http://kitukemeijin.jp